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2009年7月の36件の記事

2009年7月30日 (木)

はるや通信*夏のお知らせ

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こんばんは@はるや@ゆみえ@BCC通信です。

夏のイベントのお知らせです。
風歌が、まだ4歳くらいのときに、
ハマってしまった、どんと。
(最近は、キヨシローと、くるりを口ずさむことが多いですが。)
その、今は亡きどんとの、生誕記念日のパーテイーが、
8月5日に、
京都の綾部市の、とある、
古民家で開かれることになりました。
綾部市は、アーテイストや料理家や、ミュージシャンや、
モノ創りの人や、自給自足生活者が、
続々と、移住してきている、
今 すごく盛り上がっている、里山の美しいところです。
特に、この どんとのパーテイーが開かれる、
上林地区は、綾部市ででも北の外れで、
人間の住んでいるところや、自動車道よりも、
山や田畑の割合の方が、断然多く、
水もきれいで自然豊かなところで、
実ははるやも、新天地をここらあたりで探していまーす。
ちなみに、手づくり市で、はるやの仲良くテントをシェアしている、
水田家も、綾部の住人です。

そんな、ど田舎の、古民家に、
なぜか、どんとに縁があった方たちが集まって、
音楽と、アートと、美味しい食べ物がいっぱいの、
楽しいパーテイーが開かれます。
京都から、車で2時間以上と、かなり遠いですが、
乗り合わせて、いかがですか。

続いて8月8日は、
はるやの近所で 恒例の音楽祭、「細川ライブ」。
はるやから、さらに北上したところの、
山のふもとの棚田跡で、楽しい音楽祭が開かれます。
このイベントでは、出店と出演と両方がんばってまーす。
子供たちのドラムが、かなり上手になってきたので、
なんだかバンドらしくなってきたと、
母ちゃんは、(たまにしか、やりませんが。)練習がとっても楽しみ。
まだ出演時間など決まっていませんが、
はるやの年に一度(か、2度くらい)の、
晴れ舞台、見て見たいと言う方、
お問い合わせくださーい。


↓ こちらは、「どんとまつり綾部」の詳細です。

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今年で2回目となる『どんとまつり@綾部09』
どんとのバースデーに「おめでとう」ソングをみんなで唄いましょう~♪

昨年は1回目なのに、小さい子供からじっちゃんばっちゃんまで楽しめるおまつりになりました。
どんとが理想としていた『まつりの国』、今年も綾部の里山に出現で~す!!
http://www.youtube.com/watch?v=W0YwgFMKU8I

≪盛りだくさんの2日間≫
8/5日 どんとバースデーPARTY!
     ライブ
     ライブペインティング
     CANDLE DECO
     出店
8/6日 フルムーンworkshop
     YOGA&音魂瞑想会
     打ち上げ&フルムーンPARTY!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪どんとまつり@綾部09≫ 
どんとバースデーPARTY!!
~ヨクキタネオメデトウ~
2009年8月5日(水) 15:00~

【LIVE】   
どんと宇宙ファミリー   http://www.songstar-donto.com/
小嶋さちほ
ラキタ
THE FAMILY       http://5hp.jp/?id=thefamily
のせやすし
カムラン
Stihll
JYUNK FOOD

【ライブペインティング】
小嶋さちほ 松本晃祐 しかぼん
奥田あや

【CANDLE DECO】
NAOHA CANDLE
幻想的なキャンドルナイトをお楽しみに~!!

【出店】
CHIKUSA ART MU`S ART ユゲの物産店 NAOHA CANDLE 
えなBeauty セラピーカード&フェアトレードSHOP びわクリーム 
スタヂオ ワン 竹炭SHOP 大森さん家 マカ(チャイ&おやつ) ままや(雑穀パン&ジャム)  
はるや えびすキッチン ももカフェ 小西亭 粒々屋五彩 Suncha cafe …and more

※出店者募集
○食べモノ 雑貨 アクセサリー マッサージ…
 アルコール意外のお店ならOKです!!
○参加費が出店料になります。
○テーブル&照明は各自持参。
○ゴミは各店舗で回収お願いいたします。

【参加費】
前売り                 ¥2,000
当日                  ¥2,500
ペア割(お1人)     ¥1,500
ファミリー割(1家族)  ¥4,000
※前売りのTEL予約OK!!
(090-1909-2380)

【場所】 
京都府綾部市五津合町堂ノ後42
上林ユゲ地区内 ムクモト古民家

【お問い合わせ】
Tel 090-1909-2380(三茶子まで)
Fax 0773-21-4718
Mail kotehumi@mail.goo.ne.jp
Blog http://blog.goo.ne.jp/kotehumi/

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今夏のはるやは、とーーってもにぎやかです。
今は、6人兄弟状態。
常に、誰かが「お腹すいた」と言っております。
(たいへんやーーー。)

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*おまけ*

光ちゃんは、どっちでしょう??

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↓この子は光ちゃんではありません。
  四国から来た「廃材天国」の、独歩くんでした。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*旅の仲間とホームスクーリングと。

9歳の風歌、6歳の太郎、3歳の光、
そして、夫ハルフミと、私の5人連れの旅。

2年前のタイ旅行は、光ちゃんはもっと幼くて、
おしめを洗いながら、おっぱいをあげながらの旅だった。

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そして、よちよち歩きで、ところかまわず突進して行く彼から、
目が離せない旅でもあった。(たいへんでした!)

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そんな2年前の旅に比べたら、
今回の旅での、親の負担はずいぶん楽になったと思う。
(リラックスしすぎて、子供に迷惑をかけてしまったが。)
彼は今、3歳になり、おむつもおっぱいも、晴れて卒業。
足腰もしっかりしてきたし、赤ん坊の時と違って、日本語ならばちゃんと通じる。(笑)
インドは厳しいかも知れないけれど、なんとか、この国だったら大丈夫だろうと、
ネパール行きは決まったのだった。

旅の途中から、
風歌は 旅行記を書き始めた。

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ホームスクーラーである彼は、
これまで、文章を書くことを、ろくにして無かったというのに、
こんなに 生き生きとして、ユーモアのあるものを書けるなんて、驚きだった。
いつの間に、こんな能力を身に付けていたんだろう?
長い旅の、一つ一つの場面を、思い出し、
(消しゴムも使わずに)ペンで一気に書き下ろす作業に、
最後まで 取り組んだ。

そして、まだ十分に読み書きができなかった太郎君は、
旅の間に、自力で文字を習得し、

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(↑太郎流、国語と算数のべんきょー。)

漫画まで描いていて驚かされた。
行く先々で、スケッチもしていた。

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24時間中17時間が停電であるこの国で、
ろうそくや、懐中電灯の明かりを頼りに、一生懸命何かを描いていた太郎君。
どの漫画も、食事のシーンに集結しているところが、
食いしん坊の太郎君らしい。

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(↑「これでもか!」と言うくらい、同じようなシーンが出てきますねー。)

飛行機の中では、ジュースが飲み放題。
ごはんも、可愛らしくセットになって出てくることが、
よほど、うれしかったのだろうな。
経験したこと、感じたこと、願望(?)を、
思い立ったら即、絵で表現できる太郎君を、
私は、うらやましく思う。

風歌の旅行記や、太郎くんの絵の数々。
子供たちが、こんな素敵な旅の副産物を生んでくれるとは、
思いも寄らなかった。
おかげで、旅の楽しみが倍増した。

長い旅に出られることも、
その後、たっぷり時間をかけて、一つのことに、
取り組めることも、
ホームスクーリングをしているからこそ、だと思う。
そして、今回の旅では、
学校へ行かずに、好きなことばかりしていたら、
身につかないのではないか・・・と、思われているような、
社会性、協調性、忍耐力、適応力、判断力などなど、
(確か昔の通知表の評価項目に、こんなのが並んでいたっけ?)
そういったようなものが、いつの間にかしっかりと、身についていたことに、
驚かされた。

なーんだ、彼らは、
自分の力で学び、日々の暮らしや旅の中で、
生きていく為に必要なものを身につけ、
ちゃーんと、個性豊かに成長して行っているではないか。

この3人の子供たち。
途中でくじけてしまったとは言え、
ダルバートを、来る日も来る日も、飽きずに食べてくれた、
ボロボロの宿でも、

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ボロボロのバスでも、粗末な食事でも、
井戸水や水シャワーでも、停電も、当たり前に受け入れていた、この子たち。

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(もしかして、我が家の暮らしと、そんなに違わなかった?)
どこに行っても、誰と会っても、言葉が通じなくても臆することなく、
自然体なこの子たちは、
すばらしい、旅の仲間たちだった。

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最後に、語学好きで社交的。
食欲旺盛で(これが裏目に出ることもある。)、力持ちで、
マメに動いてくれる夫、
ハルフミさんは、頼もしい旅の最強のパートナーで、
私たち夫婦は、旅の最強のコンビだと、(日常生活では???ですが。)
自負しております。(笑)

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これからも、家族として出会ったこの縁を、フルに活用し、
今、このときに楽しめることを、思い切り味わいたいと思う。

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2009年7月29日 (水)

ネパール子連れ旅思い出し日記*山の家へ帰って来た。

山の空気はおいしい。
澄んだ川のせせらぎを聴いて、
春の匂いのする風に吹かれていると、
身体の中まで入り込んでしまったネパールの土ぼこりが、
洗い流されるようだ。
なんて、清々しいのだろう。

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「車の中で長靴に履き替え、
雪の山を、シャベルで掻き分けながら、玄関に辿り着く。」
というのを、想定し、
覚悟していたのだけど、

ああ、よかった。
雪はほとんどない。
出発前は、少しでも、雪の量を減らしておかなくてはと、
一掻き、一掻き、すくっては、雪を河原まで運び続けたあの苦労が嘘のよう。

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(↑出発前の、うちの村。)

この時期に、土が見えるなんてねえ。

子供らは、
車からおりると、
家の中へは入らずに、
ふきのとうを、探しにどこかへ消えて行った。

ああ、やっぱり日本が好きやわあ。
と、風歌。

土鍋&七輪で炊いたごはん。
畑で抜いてきた、人参と大根のサラダ、みそ汁。
ふきのとう味噌。
菜の花の梅肉和え。

味噌、醤油、酢、梅干・・・・。
癒されるう~~~~。
(当分、油抜きがええなあ。)

「メロ、ジャパニ、カナ、マンパルチャ。」
(わたしは、日本の料理が好き。)
と、風歌は、片言のネパール語(単語を並べただけやな。)で、
太郎と、じゃれあっている。
「タパイ、デレイデレイ、カナ、ワクワクラギョ。」
(あんた、ようけ、食べ過ぎ。吐き気がするやろ?)
と、太郎に言っておる。
そうや、あんたは、食あたりしては吐くし、
調子に乗って食べ過ぎては吐くし、ほんま、たいへんやったな。
食欲が無かったこの2人も、復活。
光ちゃんの、帰国してからのピーピーシャーシャーは、無くなり、
懐かしい薪ストーブの煙の匂いに包まれて、
機嫌良く、それぞれやりたいことを、始めた。
風歌は、
ネパール滞在中も、
牛の糞を踏んだり、
村のいじめっ子に追いかけられたり、
ボールの取り合いをして、ちん○ん蹴られて、泣かされたり、
(だいたい、あんたがケチやからやられたんやで。)
道ばたで遊んでいた子供たちの仲間入りしたり、
指がぼろぼろに擦り剥けたりしながら、
いつでも、どこでも、相手ができたらサッカーをしていたが、
今は、豆炭ごたつで、温まりながら、
新聞のサッカーの記事を読んだり、
各国のユニフォームを調べようとしたり、
風歌流に、極めていくようなかんじだ。
(ホームスクーリング的には、これも立派な学習となる。)
そんな姿を見ていると、何日か前には、
ネパールで、当たり前のように暮らしていたことが、
夢だったように思える。

それにしても、
我が家をとりまく、景色の美しいこと。
山からの、ちょっと湿り気のある風の心地よいこと。
湧き水が幾筋も、幾筋も集まって大きな清らかな流れとなった、安曇川。

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ネパールでは、
あますとこなく、食べるため生きるために山は耕され、樹ヶは伐採され、
私から見ても、あと何年もつだろうかと、不安になるほど、
山の緑は少なく荒れていた。

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乾期だったこともあるだろうが、そんな殺伐と乾ききった山を見ると、
自分の身体も乾ききってしまいそうだった。
それに比べて、目の前に広がる山々の、豊かで潤いのあること。
たとえ杉山でも、ネパールに比べたら、緑豊かに感じる。

私たちは、こんな美しい山里に帰って来られた。
さあ、味噌を仕込み、薪を割り、新しい春を迎える準備をしよう。
ネパールの旅と同じように、
ここでの日々の暮らしも、けっこう、驚きと刺激に満ちているのだ。
旅は、今も続いている。
(人生とは、旅のようなもの。)

この先私たちに、
どんなハプニングが起こったとしても、
両手を広げてそれを、受け入れよう。

ネパールの旅で、そうしてきたようにね!

その先には、これまで見たことの無いような、
ワクワクするような、世界が広がっていると、信じて。

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2009年7月26日 (日)

ネパール子連れ旅思い出し日記*終りの日々2

カンチュウさんから 晩御飯のお誘いがあったとき、
風歌は嫌だという顔を 露骨に見せた。
最後だからこそ、大好きなお店「桃太郎」で、
和食を食べるのを、とても楽しみにしていたのだ。

その気持ちは、痛いほどよーくわかった。
彼らは、もうダルバートや、
マサラ味のものは、もううんざり。
受け付けられなくなっているのだ。
私だって、できることなら、
「桃太郎」の、手打ちの麺で、自家製のお揚げの入ったきつねうどんやら、
チャンポン麺やら、食べたかったもん・・・。

だけど、恩のあるカンチュウさんのお誘いは、
大人の私には、どうしても断れなかった。
カンチュウさんとのご縁のおかげで、
チョウダリの村で、あんなすばらしい経験ができたわけだし、
この日を逃したら、次は何年先に会えるかわからない。(会えないかも知れない。)
そして、カンチュウさんは、私たちを
彼の家族が住んでいるところへ、案内できるこの日を、
ずっと楽しみにしていてくれたのだ。

子供たちを、説き伏せて(子供たち、ごめんね。)

その夜は、付き合ってもらったのだが、
風歌は あれだけ嫌がっていたくせに、
案外イケルと思ったのか、ダルバートを食べていた。

それが、悪かったのか、
翌日は、「桃太郎」へ行く最後のチャンスだったのに、
食欲が全く無いようで、太郎君と共に、自ら「行かへん」と言った。
あんなに、楽しみにしていたのに、
食いしん坊のこの子たちの方から、行かないと言うなんて、
よほどのことだ。
「ほんまに、行かへんの?」
何度も聞いてしまった。
(というわけで、最後の「桃太郎」へは、
後ろ髪引かれる思いで、残り元気な3人だけで行った。)

そして、風歌は、この後の帰路、
バンコクでの待ち時間に下痢、嘔吐で苦労することになる。
人前で、吐いてしまったり、
空港のトイレで一人、延々と座っていたり、惨めな思いをしただろうに、
ベソかいたり、泣き言を言うようなことは、一切無く、
素直に淡々と、笑顔まで見せて、振舞っていて、
私は、感心してしまった。

ごめんなあ・・・・。
ダルバートは、嫌だ!って、あれだけ言っていたのに、
私は、カンチュウさんの気持ちの方をを優先してしまった。
頑張ってそのダルバートを食べてくれて、この始末だ。
やっぱり、何よりも子供の気持ちを優先するべきだったかと、反省した。

一方、太郎くんは、
このところの、食欲不振のせいで、
まるい顔のはずが、尖ったアゴの逆三角形になってしまった。
痩せてしまったんだなあ・・・。

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子供たちの体調が冴えないまま、
私たちは、ネパールを飛び立った。
(光ちゃん一人は、いよいよ帰るのだということが理解できたのか、ご機嫌だった。)

まだまだ、行きたかった所、
やりたかった事が残っていて、名残惜しい気持ちもあるけれど、
3人の幼い子供たちと共に、
笑ったり、びっくりしたり、泣いたり、怒ったり、感激したり、
めくるめく、色とりどり、精一杯の40日間だった。

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(光ちゃんは別として)風歌と太郎は、どんなに体調が悪くても、
村の子供にいじめられて、怖い思いをしても、
一度も「日本に帰りたい」とは、言わなかった。

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旅の途中に、子供たち全員から、口を揃えてそんなセリフ言われたら、
母ちゃんは、本当に困ってしまうところだったが、
最後まで、付き合ってくれて、ありがとう。感謝しています。

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そして、旅をしていたら、楽しいことばかりじゃない、
これまで、経験したこともない種類の、
辛いこと、理不尽なこと、嫌なこと、、、いっぱいあったけど、
様々な場面で、子供らが乗り越えてゆき、
行く先々で、出会いを楽しみ、言葉は通じなくても、対等に付き合い、
または、可愛がってもらいながら、
一丁前の旅人となってゆく姿に、
感心しました。はい。

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なぜ、こんな苦労させてまで、
子供たちを連れて旅をするのか・・・・。

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日本とは、全く違った景色、町や村、生き物たち、食べ物、匂い、
何でも、一緒に見て感じたい。
日本では、あまり見られなくなった、
人の知恵に溢れた手づくりの暮らし。

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車や機械に頼らない、手足そして、五感を精一杯使う暮らし。
そんな、昔ながらの、美しい暮らしに、触れてみたい。

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図鑑じゃなくて、テレビでもなくて、
リアルに、世界は広いと、感じたい。

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そして、私は旅をする中で、
幼い子供たちに、伝えいのだ。
世界には、様々な人がいて、
様々な暮らしや習慣が、あるのだと。
日本で「あたりまえ」「正しい」と思っていることが、
よその国では、通用しないどころか、
全く反対の考え方をしていたりするものだ。
その違いに、共にびっくりしたり、唖然としたり、
困ったり、面白がったりしながらも、それを、受け入れてみたい。

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そして、やっぱり、
顔も言葉も習慣も違っても、仲良くなれるということを、体験したい。

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違うからこそ、世界は面白く、人々は美しいのだと。

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理屈ではなく、
彼らのその柔らかい感性で、しっかり感じて欲しいのだ。

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そんな、美しいものと、スリルと、笑いと涙に満ちた旅を、
家族みんなで 体験できるというのは、
なんて、幸せなことだろう。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*終りの日々1

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思えば、この旅は、
ダルバートで始まり、今、ダルバートで終わろうとしている。

旅の最後の晩御飯は、
カンチュウさんのお兄さん「プルナさん」のアパートに招かれた。
プルナさんは、10代で村を出てからは、様々な職業を経て、苦労を重ね、
今は、和食のコックのベテランとなり、
レストラン「桃太郎」の店長として、若いスタッフをまとめている。
彼のアパートは広々として、台所にはガスコンロもあれば、
ホットシャワーの設備もあり、テレビやゲームもあって、
なかなか、裕福そうに見えた。
近所にある、カンチュウさんの小さなアパートや、
アンビカのやっている、小さな仕立て屋さん、

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そして建設中の、プルナさんとカンチュウさん兄弟の
二世帯住宅も、案内してもらった。
仲良し兄弟の夢が一杯詰まった大きな家が、
数ヵ月後に、完成すると言う。
がんばって、日本やカトマンドウで働いて稼いで、
こうやって、家族みんなで住める家ができるのだな。
カンチュウさん、おめでとう。

そして今、テーブルに置かれたダルバートを、
しみじみ眺める。
これが、最後のダルバート・・・。
そう思うと、胸がいっぱいになる。

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ジャガイモとキャベツの炒め煮。
高菜炒め。
大根の漬物。
ダルスープ。
パラパラの白いご飯。
チョウダリの郷土料理デイグリもあった。
どこへ行っても、だいたいお決まりのメニューだけど、
これは、私たちのために、辛さを控えた、やさしい味のダルバート。

ホスト役の、カンチュウさんが、
うれしそうに、私たちを眺めてくれている。

ありがとう。
カンチュウさん。
ありがとう、家族のみなさん。
ありがとう。
旅で出会った人たち・・・。

感謝の気持ちでいっぱいになる。

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このアパートには、
子供たちが、たくさんいた。
みんな「桃太郎」のスタッフの子供たちだと言う。

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「桃太郎」のスタッフは、皆チョウダリ族だ。
店ののオーナーが、あるチョウダリの村を支援しており、
若者たちに、雇用の機会を提供しているのだ。
(チョウダリ族が、レストラン業に就くというのは、
厳しいカースト制度の下では、とても珍しいことだと聞いた。)

彼らは、カトマンドウの郊外で、お互いが近所に住み、
チョウダリの村のように、子育ても、祭事も、共に行い、
助け合って、暮らしているようだ。

しかし、カンチュウさんのように、都会で暮らすようになった若者たちは、
子供をあまり作っていない。
その代わり、1人か2人の子供らのために、
お金をかけて、しっかりと学校教育を受けさせ、
ゲームなどの高価なおもちゃや、西欧風の服なんかを、買い揃えている。
実際、都会の子供たちは、早朝から夕方まで、学校や塾でみっちり勉強していたし、
以前来た時のように、伝統的なこの国の衣装を、普段着にしている少年少女は、
見られなくなっていた。

子供たちが、都会的なセンスを身につけて、高学歴であるほど、
幸福な将来は保証されていると、考えられているのかも知れない。

学校へ一応行ってはいるものの、
野良仕事や家の仕事の方を優先しているように見えた、
チョウダリの村の人たちとは、
大きな、ギャップがある。

それでも、
土の家ではなく、アパート暮らしの、ここの人たちは、
年世帯か集まれば、大家族になるし、
村の、なつかしい食べ物を作ったり、何かを祝ったり、
お年寄りはいないものの、何やかんやと集まって、にぎやかに暮らしているようだ。
一人っ子や、二人兄弟の子供たちも、
みんな集まれば、たくさんの妹や弟、お兄さんやお姉さんとなる。
可愛がってくれる、叔父さんや叔母さんもいっぱいいる。
父親が出稼ぎで不在の、母子家庭でも、
そんな共同生活の中で、サポートし合って、暮らしているのだ。
同郷、同族であるという、結びつきは強い。
(日本も、昔はそうだっただろう。)

村でも、カトマンドウでも、
こうやって、子供たちは、色々な大人たちに、可愛がられる。
そんな中で、育った人たちは、
また、自分の子でも、よその子でも可愛がることができる、
大人へと成長してゆくのかも知れない。

ネパール最後の夜。
最後のダルバートを食べながら、
子供をとりまく家族のあり方、社会のあり方の お手本を、
都会や村で暮らすチョウダリの人たちの中にしみじみと、感じた。

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2009年7月23日 (木)

太郎くんの成長?&いちにち商店街のお知らせ

こんばんは@はるや@ゆみえ@BCC通信です。

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こちら、山のふもとは今宵も涼しく、気持ちよく過ごしておりますが、
京都は、暑いでしょうねえ・・・。

曇りがちの日が多いですが、
3兄弟、水掻きが生えてきたんじゃなかろうかというくらいに、
川へ通う日々です。
今年からは、子供らだけで行けるようになったので、
母ちゃんは、時々橋の上から、
「おー、やっとる、やっとる。」と、様子を見に行くのですが、
3人とも、すっぽんぽんで、
よう遊んでおります。

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特に太郎くん。
「太郎くんも、泳げるようになったし、ゆみえちゃん見に来てなー!」
と、前からお願いされていたのですが、
(ほんまかいな。泳いでいるつもりなんやろ。)
と、なかなか見に行ってませんでした。
でも、先日、たまたま見てみると、
「すごいっ!!」
確かに、泳いでおりました。

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平泳ぎ風と、バタフライ風、犬掻き風・・・と、
オリジナルな泳ぎを見せてくれたのです。
ほんの1-2メートルくらいかも知れませんが、
母ちゃんは、感激しました。

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だって、太郎君は、風歌と違って、
赤ん坊の頃から 大の怖がりで、
抱っこしても、水に入るのは、頑として嫌がっていたような子だったから。
その、太郎君が、
誰にも、教わることも、励まされることもなく、
一人で、黙々と泳ぐのに挑戦していたなんて・・・。

ちょうど、風歌も一年生になった夏に、
一人川へ通い、泳げるようになったのですが、
「人間は浮くようにできているから、大丈夫や」とか、
何とか、口で説明したり、
少しは、練習に付き合ったりしたような記憶があるのですが、
太郎君の場合は、
完全に、放ったらかし。
100パーセント自力で、泳げるようになったのです。
すごいなあ!!!

・・・・と言っても、泳いでいるのって、ほんの数秒間。
水中マスクをしているからその間、
川の中の世界を、うっとりと覗いているのでしょうか?
とにかく、その数秒間を味わいたいがためか、
太郎君は、一人ぼっちでも、川へ降りて行ってます。

3兄弟は朝、昼前、昼過ぎ、おやつ後・・・と言うかんじで、
一日4回は、行ってますが、
太郎くんは、それプラス2回というかんじ?

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あんたら、
宿題も無いし、ええ夏休みやなあ!!

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その太郎くんですが、
最近、家の中に 布を張り、掘っ立て小屋を建築(?)

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中に、小さなちゃぶ台と、椅子。あんどん。
片隅に本と、着替えを、キレイに並べて。
自分の家を作りました。(中は、こぢんまりして、とっても素敵!)
夜は、その中にベビー布団を敷いて寝ています。
あの、寂しがりやの太郎くんが!!
どうしたことでしょう??
(寝る時に、私が近くにいないと嫌だと言っていたのに。)
昼間は、3兄弟共同の基地となり、
戦いの後、中に篭って待機したり、
戦略を練ったりしているのですが、
今朝は、風歌が、図鑑を見ながら生物の講義をしておりました。
「イモリの雌雄の見分け方や交尾について。人間のそれと比較して。」
という、かんじでした。
けっこう、ちゃんとわかってるやん!(?)

今夏は、来客が多いので、
4兄弟になったり、5兄弟になったりしながら、
(明日は、7兄弟になる予定。ひえ~~っ。)
賑やかな夏になりそうです。

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さて、いちにち商店街のお知らせです。
8月は、縁日っぽい演出があるようですよ。
お楽しみに。

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8月1日(土曜日) 10時~4時

下鴨亭にて。(左京区下賀茂蓼倉町68-1 アレルギー専門食品店健らいと向
かい。)

~必要なものが、必要なところに 届きますように。
 こころのお財布が にっこり笑いますように。~

天然酵母パン、オーガニック珈琲、ケーキ、ジャム、布雑貨、
手づくりアロエクリーム、などなどが、こぢんまりと可愛く。
はるやは、お惣菜キッシュや、ケーキや、包みパイなどと、
ふだんの手づくり市では、作れないようなスペシャルもんとか、出品する予定。
(数は少ないです。)

*今月のスペシャルは、
 そよかさんの、ほっこり どっきり 女ひとり芝居。(カンパ制)

 紙芝居、ぷちトマトすくい、輪投げコーナー、駄菓子屋さんなど、縁日風に。

********************************************

是非、遊びに来てくださいね!

*おまけ*

本日の、お客様。

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2009年7月22日 (水)

ネパール思い出し日記*<おまけ>カンチャ

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(↑バンコクにて。)

末っ子の男の子のことを、ネパール語でカンチャと言う。
我が家のカンチャ、光ちゃんは、
ずっと、ホームシック状態だった。

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旅の概念が、まだ理解できない年齢なのだろう。

いつ家に帰るのだろう?
なんで、家に帰らないのだろう?
家は、どこにあるんだろう?
ここは、どこなんだろう?

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3歳児である光ちゃんにとっての40日間というのは、
大人のそれと比べて、とてつもなく、長く
もしかしたら、永遠に続くようにさえ感じられたのかも知れない。

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光ちゃんが、一番おチビさんで可愛いからか、
どこへ行っても、ネパールのおばさんたちが ちょっかいを出してくる。
これも、光ちゃんにとって、ありがた迷惑だったようだ。

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田舎に行くほど、言葉も荒く、顔も濃くなってくるようだが、
そんな顔で、覗き込まれて、にったり笑われたり、
強引に、抱かれたりするのは、
光ちゃんには、耐え難かったのだろう。
彫りが深く、鼻輪や耳輪を付け、おでこには赤いテイカがべたっと付いていて、
眼の周りは黒く塗られたおばさんたちは、
もしかしたら、不気味な魔女のように見えたのかも知れない。
(ネパールのおばさんたち、ごめんなさい。)

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そんなわけで、
朝起きると第一声が、「早くお家に帰ろうよ~~。」
退屈になると、「早くお家に帰ろうよ~~。」
都合の悪いことがあって泣き出すと、「早くお家に帰ろうよ~~。」

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ポカラに滞在していた頃から、毎日のように、連発されるが、
聞いてあげられないだけに、せつなくなる。

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以前タイを旅したとき、
彼はまだ一歳でヨチヨチ歩きの赤ん坊だったが、
こんなんじゃなかった。
3人の中で、一番やる気まんまん、何でも見てやるぞ!と、
パワー全開の、
たのもしい、小さな旅人だったのに。

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(↑2007年タイにて。)
3歳になり、肉体的にも、精神的にもしっかりして、
さらに、パワフルになって、旅をエンジョイしてくれると期待していたのに、
まるで赤ちゃんに返ってしまったように、
抱っこ、抱っこだった。

今思えば、一歳の旅のときは、
おっぱいが、あったから、がんばれたのだ。
母ちゃんが行くところ・・・というよりも、おっぱいがあるところなら、
あとは、何もいりまへん。どこでも、行きまっせー!

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(↑2007年タイにて。)

おっぱいが、すべてのよりどころだったのだ。(たぶんね。)

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(↑2007年タイにて。)

旅の直前に おっぱいを卒業してしまった光ちゃんにとって、
おっぱい無しで、過激なこの国を旅するのは、
試練だったのかも知れない。

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そんな彼だったが、
今、日本に帰って何ヶ月もたっているというのに、
毎日ネパールの話をしてくるのである。
毎日!


「村に、豚がいたなあ。おっぱい飲んでたなあ。」
「サローズとふうちゃんと太郎くんと、寝てたなあ。」
「カンチュウさん、どうしてるかなあ。」
「バス、よう揺れてたなあ。」
「人を 焼いてたなあ。」
「川で 洗濯してたなあ。」
「象に乗ったなあ。」
「光ちゃんの、ぞうりが落ちたなあ。」
「飛行機に乗って、また遠いところ行こうなあ。」

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旅していたときに、
見たこと、感じたことを、
ゆっくり、時間をかけて反芻し、言語化している。

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(↑とーちゃんの足に掴まって、○んちタイム。)

彼なりに、精一杯、見て、歩いて、感じて、味わっていたのだろう。
細かいことまで、口にするので、驚かされる。

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幼い子を、旅に連れて行ってもすぐ忘れてしまうのだろうと
言われるが、
そうでも無いかも知れない。
子供たちの記憶のどこかには、
旅の思い出の小さなカケラが、
褪せることなく、息づいているかも知れない。
もしかしたら、10年も20年もたった頃、
そのカケラが、ふとしたきっかけで光を放つかも。
なーんちゃって。

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光ちゃんが、そのうちに、ネパールのことを、口に出さなくなって、
時は過ぎ、大きくなっても、
私は、3歳だった時の、キミの立派な旅人ぶりを、
しっかり、覚えておくからね。

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2009年7月20日 (月)

ネパール子連れ旅思い出し日記*パシュパテイナート

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ネパールで一番大きなヒンドウ教のお寺のある聖地パシュパテイナート。
広い敷地の中に、鹿や猿が群れをなす森もあり、
延々と続く白い石段を登れば、あちこちに、無数の小さなお寺が建ち並んでいた。

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石段の隅には、物乞いの人、指が無いひと、足が無い人、つぶれたような顔の人など
変わった風貌の人たちが、影のようにうずくまっていて、
通り行く人たちに、手を伸ばしている。
前もって参道で両替しておいた小銭を、
子供たちが、その手のひらに配りながら登っていった。

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10日くらい前に、
シバラトリイという、シバ神の誕生日を祝う、
大きなお祭りがあったので、
(ネパールじゅうから、そしてインドからもサドウが大集合する。)
その名残か、
バジャン(お祈りの歌)が大音響で流れ、
広場に、奇妙で滑稽な姿かたちのサドウのグループがいくつかあって、
「スパッスパッスッパーッ」と、
煙をもうもうと出して、
大麻をまわしておった。
皆さん、ニコニコとして楽しそうだったなあ。
この雰囲気はとてもインド的。
インドの聖地を思い出す。懐かしいなあ。

境内に入ると、
塀のむこうから、白い煙がどんどん流れてきて、
「ん?バーベキューの匂いとそっくりの匂い。」

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いえいえ、
遺体を焼いているのでした。
ガンジスの支流だという、バグマテイ川沿いに、
いくつも、火葬台があり、
3体くらい、火葬中。
そのまわりを、犬が物欲しそうにうろついている、、。
ああ、この匂いは、焼き肉の匂いと全く同じではないか。
(当たり前やな。ヒトも、トリもブタも、同じほ乳類の肉やから。)


ますますわたしは、肉食べられへんなあ。
共食いしてるのと、同じやんか。
と、このとき痛切に感じた。

頭から脳みそがトロン。
あばら骨の中からも、内蔵がトロリ。
お世話をしているおじさんが、
棒で、ひっくり返して、
うつぶせにして、お尻の方も、お腹の方も、
ぐいぐいと、押しながら両面しっかりと
焼いている。
半ナマやから、ジュージューと音をたてて。

そんな火葬ガートのすぐ横を、
煙に巻かれながら、
学校帰りの子供たちが、楽しそうに通り抜けている。

匂いに敏感になっている太郎くんが、
鼻を押さえて、吐きそうだと言う。
あっ、間に合わない。
吐いてしまった。
どこかへ連れて行かなければ、、。
すぐ近くに、水が流れているところがあり、
そこで、思い切り吐いた。

ここは、刺激が強すぎるよなあ。

風歌は、今度は、燃やしはじめから見てみたいと言うが、
太郎くんがもう限界のようなので、
そろそろ、火葬ガートからは離れる。

お寺のあちこちにも、
裸同然で、白塗りだったり、
ドレッドスタイルの髪の毛が、腰まで伸びていたりする、
筋金入りのラスタマンのような、
サドウ(行者さん。)が、いて、
みんなハッピーな顔して、寛いでいる。

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結婚の報告参りのようなことをしている、
おめでたいムードに包まれた一団もあった。

この川の下流では、
ガンジス川のように、
普通に、洗濯やら水浴びがされているんだろうな。

日本では、考えられない感覚だ。
葬式場と、結婚式場と、通学路と洗濯場と沐浴場が、
ひとつながりになっているなんて。

今思えば、パシュパテイナートへ通じる参道は、
お供え用の、色とりどりの花飾りで溢れていたが、
まるで、それは、生も死も、等しく、祝福されているかのような、
華やかさがあった。

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生と死が、暮らしの中にむき出しになっている国。
それは、目から耳から、鼻から、五感に容赦なく迫ってくる。

旅の最後の日に、子供たちと、この世界に少しでも触れられて良かったと思う。

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(↑生と死の混沌とした光景が描かれている、太郎くんの絵。)

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ネパール子連れ旅思い出し日記*フリーチベット!

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旅の始め。
ボーダナートにて。
屋上の眺めが抜群の、チベタンレストランで
ごはんを食べる。
スタッフのお兄ちゃんはチベット人。
ヒマラヤを越えてやってきて、
ご両親は、チベットで暮らしている。
自分は、インドのダラムサラの学校を出て、
現在はここで働いているという。
ヒマラヤを越えたことも、
親と一緒に暮らせないことも、
当たり前のように、
さらりと言う。

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その後、
たまたまベンチで隣に座ってきたお姉さん、
「ヒマラヤを越えて来たのよ。
 あの、ヒマラヤよ。わかる?
 たいへんだったよ。」
と、話してくれる。
ご両親はやはりチベットで。
ずっと会ってないという。
さらりと言う。

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しかし、さらりと言われた私は、
胸が傷む。
何て返せばいいのだろう。

命懸けのヒマラヤ越えも、両親と離れ離れだということも、

まだテイーンエイジャーの彼らにとって、

どんなに辛く、厳しい現実かと思うが、

この、ふっきれたような明るさは、何だろう。

なぜ、こんなに強く、生きられるのだろう。

「私達日本人、、、私の友達たち、
 みんな、チベットのことを思ってるよ。
 日本では、
 北京オリンピックのときに、
 大きなデモもありました。
 今、たくさんの日本の若者が、
 チベットの自由と平和を願っているんだよ。
 本当に、心から願っているよ。私も。」

と、心をこめて、言う。

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「そう、私も、日本であったそのデモのことは知っている。
 ああ、わたしは、チベットに住んでいる時に通っていた、
 中国人の学校では、
 戦争で日本人は中国人をいっぱい殺してひどいことをしたのだということを、
 毎日聞かされていたよ。毎日!
 でもね。
 ○○さんという日本人の友達ができて、
 彼は、それは嘘だと言っていたから、
 今はそれを信じているの。」

 ええっ?そうなんや。毎日聞かされていたなんて。
 でも、日本が中国に ひどい事をしたのは、本当のこと。
 だから、○○さんが、嘘だと言い切るのは、
 どういう根拠があるのかわからないが、
 私のつたない英語では、そのことをうまく説明できなかった。

ああ、チベット!
毎年、どれだけの子供たちが、
あのヒマラヤを越えて、やってくるのだろう。

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**    **      **

旅の終わり。
知り合いのつてで、
チベットの子供たちの孤児院を創立したという、
日本人の女性Cさんに会った。
きっとチベットの民族衣装に身を包み、

チベット人にすっかり同化されているのではと、思っていたが、

全然。
すらりとしたジーパン姿の美人でした!
チベットに惹かれ、
チベットのお坊さんと結婚して、子供さんもいるが、
なんと、その彼は今、8年間の瞑想の修行中だとか。
チベットの道無き山を馬で3日もかかる山のお寺の、洞窟で。
残りあと6年だって。
(しかも、連絡のしようも無いので生きているかどうかさえお互いわからない。)

ひえ~~~っ。
すごい境地やなあ。
夫が、家庭を置いて、山の中で、8年間も修行中なんて、
私には考えられない。
人間の器の大きさが、違うのか。
精神のレベルが、全然違うのか。

Cさんは、
カイラス山脈で暮らしていた、
孤児や極貧の子供を呼び寄せて、
安心して暮らせるホームを建てられた。

http://www.tcp-np.com/index.html

わたしたちがホームを訪ねると、

丸坊主の(シラミ対策。)、太郎くんと光ちゃんの間くらいのちびっこが、
10人くらい、
わらわらと集まってきた。
わたしたちじゃなくて、
このホームのお母さん役の、Cさんのもとに。
それぞれ、
「待ってたよう。」
「どこに行ってたんだよう。」
「あのねえ、今日ねえ。。。」
と、言う感じで、一斉におしゃべりが始まってる。
その光景をみるだけで、
なんだか、泣けてしまった。
子供たちの全身から、Cさんが大好きなのだということが、
伝わってくる。
Cさんは、笑顔でその一人一人に、応えている。

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はるか彼方の、カイラス山脈。
聞けば、この子たちの住まいは、
石を積み上げ、草で葺いただけの小屋で、
布団さえも無いという。
子供たちは、老人のような手をして、
家の仕事をしていたそうだ。

このホームへ来て、
家や親が恋しくなって泣く子は一人もいないというから驚く。

美味しい食べ物と、
きれいな服と、
温かい布団があるから、ここが好き。
感謝。感謝。

と言うんだって。
太郎くんより、小さなこの子たちが。

ひもじくて、寒くて、疲れて、どうしようもなくなると、
お母さんと一緒にいるよりも、
ただただ、食べるものと、温かい寝床を求めるようになるのか。
生きるために。
それほどにまで、
辛かったのか。
追いつめられていたのか。

(どんな状況でも、幼い子供は母親を求めるものだと思っていた私は甘かったか。)

想像を絶する。

「子供たちは、死んだら生まれ変わるということも知っています。
 死んでも終わりではないと知っています。
 そして、人はみな死ぬのだということも知っています。
 それは、明日かも知れないし、もっと先かも知れない。
 だからこそ、今日に感謝して生きています。」

とCさん。
チベット仏教の教えが、
生まれる前からしみついているこの幼い子たちは、
そうやって、
いつも「感謝。」「感謝。」と言うのだって。
ネパールの孤児院の子供たちが、年頃になってグレてしまうケースが多いらしいが、
チベタンの子供たちは、
このチベット仏教の教えが、
すべての根っこにあるので、まっすぐに育ってくれるのだとも。
(なかには、例外はあろうが。)

へえーー。

仏教の教えがあるからこそ、
山の暮らしの厳しさや貧しさ、
命がけの山越え、
チベットのおかれた理不尽な境遇にも耐えられるというわけか。


このホームとは別に、Cさんは、
トレーニングセンターの設立の準備もすすめている。
それは、大きくなった子供たちが、
社会で自立して働けるようなスキルを身につけるための、
職業訓練校のようなものだと思う。

このホームから見えるところには、
チベット亡命政府があった。
命からがらヒマラヤを越えたチベット人たちは、
まずここを目指すそうだ。
その後インドのダラムサラにある、ダライラマが建てた学校へ行くことになるらしい。
ここにも、
ダライラマが建てた、
とても立派な宿舎と学校があった。

亡命してきたチベット人たちにとって、ネパールは、
ダライラマのいるインドよりも、
気候的、人間の気質的にも住みやすく、
また戻ってくる人も多いと聞いた。

その証拠に、
幟(のぼり)や、タルチョ(お経が書かれた旗)の、飾られた家が、
カトマンドウでも、ポカラでも、
あちこち、ほんとうに、そこらじゅうに、、、見られる。
これを、受け入れている、ネパール人の寛容さも、すごいなあと思ったのだが、
実際には、ネパールは、中国に依存している国であり、
ネパール警察は、チベットの人の宗教的な活動を、
厳しく規制していると言う。

Cさん。
点滴を打ちながらも、チベットの子供たちのために奔走しておられる。
私と同じ年だけど、

全く異なる人生を歩いている2人が、
ここで会った縁を感じる。
チベットの、
あの薄い、薄い空気。
澄み渡った空気。
その空気にまるごと身体が触れた瞬間に、
彼女の人生は変わっていった。
(そういうふうに言っておられた。)
私はチベットへ行ったことがないし、
その、空気が薄い世界、どこまでも空が蒼い世界は、経験してみないとわからない。
どんな感覚なのだろう?
人生をすっかり変えてしまうほどの、強烈な感覚とは。

トレッキングで間近にみたあのヒマラヤの山々のむこうには、
どんな世界が広がっているのだろう。
私の心を惹き付けてやまない、ヒマラヤ。山岳民族の暮らし、、、。

「では、是非、次はチベットへ行ってみてください。」
、、、と、言われたが、、。
(あんな、過酷そうなところ、自信が無い。)

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2009年7月19日 (日)

ネパール子連れ旅思い出し日記*<おまけ>マイラのこと。

ネパール語で、次男のことをマイラという。
太郎くんは、よく「マイラ」と呼ばれていた。

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3人兄弟の真ん中というのは、
周りを見ても、なぜか
ちょっと異色のキャラクターだったりするが、
我が家のマイラ、太郎くんにしてもそうだ。
どこがどう、他の2人と違うのだと聞かれても、困るけど。
服の着こなし(パンツをはかない主義)、
食いしん坊ぶり、反抗ぶり、開き直りぶり、怠けぶり、

おねしょぶり(→おっとこれはマイラだけでは無かった。)
頑固ぶり、怖がりぶり、などなど、
母親の予想を超えた行動に出ることがあり、
しばしば、私を楽しませてくれる。(?)
他人にも、その魅力が通じるのかどうかわからんが、
案外、旅先で人気者だったりして・・・・。

また、兄貴と弟にはさまれ、上からも下からも抑圧?を受けて、
しばしば泣きべそをかいているのも、マイラの特徴でもある。

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旅の間も、わが道を行くマイラ。
例えば、みんなで出かける時も、
「一人で留守番しとく。」と言う。
見知らぬ外国の宿で、
心細くならへんかな・・・?と、
気にしつつ、帰ってみたら、宿の台所で、
ちゃっかり、サモサをもらっていたりする。

始めから下心があったのか無かったのか、
次男というのは、要領がいいのか、
喰いっぱぐれることは 無さそうだ。

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(↑ポカラの「桃太郎」で、おこぼれを狙っている?)

そんな、マイラが、
ポカラの宿の主人ドーモさんは、
可愛いくてたまらないようで、
べっぴんさんで、秀才の愛娘シカを、
お嫁にどうやと、言ってくるほどだ。
(ほんま、かいなー。)

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夜中に、屋上でマイラ太郎は、
ドーモさんの晩酌のお供をしていた。
時々、ご愛嬌で、ビールを、一口もらったりして。

マイラ太郎は、ドーモさんのプライベートルームも、
出入り自由のようだった。

そして、ドーモさんが誘ってくれる。
「○○まで、お客さんを送りに行くんだけど、
マイラも連れて行っていい?」
「空港で、お客さんをハンテイングしてくるんだけど、
マイラも連れて行っていい?」

太郎くんは、ご機嫌で
ドーモさんの助手席に座り、仕事のお供をするのである。
途中、ちゃっかりジュースやパンを買ってもらったりして。

チョウダリの村へ行くときは、
「マイラだけ、置いて言ってもいいよ!」
と、何度も、言ってくれた。
(本当に、置いて行って欲しそうだったなあ。)

カトマンドウへ帰るときは、
「マイラは、ここで、ぼくたちと一緒に暮らそう!」
(本当に、一緒に暮らしたそうだったなあ。)

いよいよ、ポカラのバスターミナルでお別れのとき、
ドーモさんの目は、うるうるしていた。

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(↑マイラ太郎に、寄り添うようにしているドーモさん。)

ドーモさん、子供たちを いっぱい可愛がってくれてありがとう。


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ネパール子連れ旅*思い出し日記*さよならポカラ

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ポカラでは、自然と早起きになる。
朝焼けに染まるヒマラヤが一番きれいだからだ。
その時間に、
フェア湖のほとりから、
白鷺たちが次々と、山の方へ渡って行くのが見られる。
こんなに、たくさんの鷺がどこに棲んでいるのだろうかと思うくらいに、
果てしなく、その渡りが見られる。
カトマンドウでは、カラスの飛翔が見られたが、
ポカラの白い鷺と、カトマンドウの黒いカラスと、
なんだか象徴的である。

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(↑太郎くん作。鷺の飛翔。)

今日も、鷺の飛翔の中で、
ヒマラヤを眺めた。
マチャプチャレや、アンナプルナの山頂あたりに、
雪煙が舞っているのが見える。
昨日は嵐だったのだろう。
私たちが、トレッキングしたときと同じだ。
嵐の後の、空気は澄み渡り、
山がひときわ、クリアに見えるのだ。
ああ、もっと近くで見たい・・・。

う・・・・ん、
どうしようかな、行こうかな、やめとこかな。やっぱり思い切って行こうかな。

迷った末、ハルフミさんが大通りまで ひとっ走りし、
タクシーの運ちゃんと、話をつけて、
急遽、サランコットまで行ってくることにした。

子供たちに召集をかけ、
小さなタクシーに乗り込む。
サランコットは、京都側から眺める比叡山にそっくりな形をしていて、

昔初めて見たときに驚いたものだ。

1600m近くの山・・・なんだけど、ポカラでは

サランコットの「丘」と言われている。

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(↑マチャプチャレの手前に見えるなだらかな山がサランコット。)

山頂近くで車を降りて、しばらく登る。
日が高くなるにつれて、
ヒマラヤのシルエットが薄くなってしまうのだが、
完全なパノラマで見ることができた。

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ここらに住んでいる人が、
「今日は、特別にきれいだ」と言っていた。

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これで見納め。
もう、思い残すことはない。
(でも、名残惜しい・・・。)

父ちゃん母ちゃんは、
旅の終りを、切に感じ、
ヒマラヤも、もう見られないと思うと、
センチメンタルな気分で、いつまでも眺めていたい気持ちだが、
子供たちは、いい加減に早く帰ろうという感じである。

はいはい、わかったよー、帰りましょう。

帰ってから、
京都のじいちゃんにメールを書いた。

「帰国して食べたいもの。
 ごはん。
 味噌汁(わかめや、お揚げが入ったもの。
 もずく。(酢のきいたものに飢えている。
 青菜の胡麻和え。
 生野菜。+豆腐。
 ごま豆腐、納豆
 以上、よろしくお願いしまーす。」

えへへ。
ばあちゃんの家で食べるお決まりのメニュー。
こういうのが、食べたいんだよな~。
昼は、うどんで、
夜は、ちらし寿司とか、ええやろなあ。。
よだれがっ、、、。

そして、あくる日は、カトマンドウへ移動する日。
(バスで8時間は、ちょろい、ちょろい。)
その朝も、
ヒマラヤに、雪煙が舞っていた。
雲一つない空。すばらしい眺め。
まるで、見送ってくれるみたいだねと、子供たちと話す。
今度こそ、本当に見納めだ。

最後の瞬間まで、見せてくれてありがとう。

バスパークに着いても、
いつまでもいつまでも、見ていた。
さようなら、ポカラ!
さようなら、出会った人たち! ありがとう!

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ネパール子連れ旅思い出し日記*ポカラな日々

ポカラへ帰って来てから、
子供たちは、ダルバートを食べるのを嫌がった。
食堂で食べるダルバートは、
村で食べていた家庭の味と違って、何か癖があり、
私も食べる気がしなかった。

海外までやって来て、日本食を食べるなんぞ、邪道や!
その土地のものを食べるべしという考えだったが、
胃袋が悲鳴を上げていて、
背に腹は変えられないということで、
日本食を作ってくれる食堂を利用するようになった。

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と言っても、
薄汚くて暗いキッチンで、
父ちゃん母ちゃんが、レジ係、
息子たちがコックで、
近所の子供がお手伝い、というような家族経営で、
日本食=高級というイメージからはちょっと離れているような
庶民的な匂いのぷんぷんする店。

ここだと、普通の日本食レストランに行くのより、
半分以下の出費に抑えられる。
おまけに、日本の漫画がいっぱいあるから、とても助かった。
なぜならば、
この店は、注文してから、料理が出てくるまで、
少なくとも一時間以上はかかるのだが、
(ネパールではこれが普通なんだけど。)
ここでは、子供たちが、漫画に夢中になってくれているおかげで、
「まだか~~~??」
「お腹すいた~~~!!」
「いつ、できるん~~?」
イライライライラ・・・・・。
と、いうような事態に、なんとかならずに済むからだ。

風歌は、なんとか銀牙とかいう闘犬の漫画にはまってしまい、
食事が終わって私たちが帰った後も、
一人残って、居座っていた。
夜には、ろうそくをつけてもらって、読みふけり、
そのあと、歩いて15分くらいの道のりを、一人で帰ってきたり、
知り合いと一緒に帰ってきたり。
まるで漫画喫茶のように使っている。

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あるときは、
太郎と2人で、
「とうー みっくすべじたぶる かれー
 わん ぷれーん らいす 
 のー ちり、ぷりーず」
(野菜カレー2つ、白ご飯1つ、辛くせんといて。)
と、メモして、
残り物用に、タッパーを持参し、
自分らだけで、食べに行った。
そうです、
もう、カレーはええわと言っていたのが、
この食堂へ来るようになって、
また、カレー好きが復活。
食べられるようになったみたい。
(でも、カレーとダルバートは違うらしい。)
よかったなあ。

このアットホームな店は、
味噌が自家製と聞いてびっくり。
とても味噌を作っているとは思えない顔ぶれ?なのだが・・・。
日本とは風土が全く違うこの国で、
よくまあ、味噌を仕込み、保存しているものだと、感心する。
話を聴くと、虫が涌いたりして、試行錯誤のようだった。

だけど、ここの、混じりっけの無い味噌スープは、
京都のそこらの店よりも、ずっといい味が出ている。
私も、ずいぶん癒された。
味噌汁の力はすごい!
味噌に惹かれて、私たちはこの店に通った。

そのうちに、ちょっとずうずうしい注文もするようになった。
例えば、チベットの手打ちヌードル「テントウク」を、
味噌仕立てにしてほしいと頼んでみた。
出来上がりは、私の両親の故郷大分のだんご汁にそっくりになった。
光ちゃんも、この「味噌テントウク」は、
お気に入りになり、その後も彼の定番となった。

または、茄子と肉の味噌炒めを、
肉抜きで、茄子以外の野菜も入れてして欲しいと頼むと、
これまた美味しく、ヘルシーな野菜たっぷりの味噌炒めが。

結局、スパイスの代わりに、味噌で味付けしてくれるってだけで、
日本食というものが、できあがるのだ。

日本では食いしん坊のわが子たちに、
食べすぎの心配をすることが多かったが、
(特に太郎くん。)
ここでは、とにかく子供たちが、いっぱい食べてくれることが、
うれしい。

よかった。
こうやって、
すこしずつ、
すこしずつ、
胃袋も、元気になってきている。

よかった。よかった。

自分なりのポカラの楽しみ方を、心得た風歌たちは、
お気に入りの食パンを、自分らで買いに行ったり、
顔見知りのチャイ屋に、2人で行ったり、
宿で一緒になった、
あらゆる年齢層の(若いのやら、中年やら)人たちと、
おしゃべりを楽しんだり、
宿の主人のお仕事のお供をしたり、
のんびり、ゆっくりの、ポカラ的な毎日を、
堪能しているようだった。

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私はもっぱら、仕立て屋さん通いをしていた。
布を選んで、お気に入りの形に、いくつか縫ってもらった。
うふふ。服を新調するなんて、○年ぶりだろうか?
約20年前にポカラで買ったスカートは、
何年か前には、チュニックにリフォームして、
擦り切れるくらいに着ているが、いまだ現役。
今回作ってもらった服も、きっと10年20年着ることになるかな。
きっと、そうなるだろう。
だから、頑丈に作ってね!大切に着るから。
と、テーラーのムンさんに、お願いした。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*再びポカラへ。

昨夕、長い長い旅から帰ってきた。
行きは15時間かかったが、
帰りは、なんと11時間。乗り継ぎ時間1分!奇跡だ。すばらしい。
タライの平原を突っ走り、マハバラータ山脈を越えて
ガラガラガッシャーん!*%$@。。!っと、
すざまじい音をたて、
左右上下に、全身揺さぶられっ放し。
ときに、巨大蟻塚の後ろに隠れておしっこをし、
(ローカルバスのトイレ休憩は、トイレの無いところでするのだ。)

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ときに、乗せ忘れたお客を乗せるために、
引き返し、(もうーーーっ!)
ときに、道にゴロリと転がった、大型ダンプ(おもちゃじゃなくて!)を、
なんとか、避けて走り、
(避けれなければ何日足止めを食らうことか!)
ときに、崖から墜落したバスを横目で見、
ときに、何時間も足止めを喰らい、
ほんとうに、厳しく、忍耐の、スリル満点ひやひやしどおしの、長い旅、、、、
いったい何時間かかるか、何日かかるのかさえ、読めない、
チョウダリの村への往復のバスの旅、
子供たち、ほんとうによくがんばったなあ。
感謝、感謝。ありがとう!

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**

そして、再びポカラへ戻ってきた。
馴染みのあるところへ戻ってくるというのは、
何か、我が家に帰って来たような、
リラックスした気分になる。
子供たちも、心の底から、ほっとしたようだ。
前に居た、愛着のある部屋を用意して、
宿のドーモさん一家が、喜んで迎えてくれた。
息子のアシスも、「あの子たち、いつ帰るの?」と、
毎日、聞いていたそうだ。
うれしいなあ。
風歌たちは、真っ先にアシスたちと遊ぶのかなと思ったが、
久しぶりに、日本語でべらべら話せるのがうれしいのか、
宿のバックパッカーのお兄さんたちと、仲良くなっていた。

夜中になると、例によって停電。
暗闇の中、どこかの部屋から、
「フウタ!フウタ!」と呼ぶ声がする。
日本人の旅人の部屋に招かれているようだ。
いつの間に、知り合いになったんだろう。
(風歌に何の用なんだろう。うふふ。)

ろうそくの明かり一つで、
風歌と太郎と、旅人たちと、
集まっているようだ。
笑い声が聴こえる。

風歌が何かしゃべっている。
(ついつい、聞き耳を立ててしまう。)
今回の旅のエピソードやら、
黒澤明の映画の話やら、
自分で叩いているドラムの話やら何やら、
話題も豊富に、
面白おかしく話しているようだ。

おっかしいなあ~。
大人の人たちと、
同じ旅人として、対等に話してるわ。

いやいや、自分の話が、こうやって堂々とできるというのは、
すばらしいことだわ。
と、わが子ながら、頼もしく思うのであった。

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2009年7月18日 (土)

ネパール子連れ旅思い出し日記*お別れのとき。

この村に来たときは、青々としていた麦の穂が、
ほんのり色づいてきた。

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そして、生まれたばかりだったのだろう、
臍の緒も付いたままで、
藁の上で寝てばかりいた、隣の家の子牛が、
一昨日くらいから、駆け回り、飛び跳ねて、
こちらの庭にまで はしゃいで入ってくるようになった。

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子豚たちも、一回り大きくなった。

風歌がネパール語で寝言を言った。

季節が少しだけ、変わった。

ポカラへ帰る日がやって来た。

夕べは、部屋の壁一枚隔てたところにいる、
黒犬が、ずっと鳴き通しで、
うるさくて まともに眠れなかった。

夜中の3時くらいに、井戸水を汲む音が聞えた。
こんな早くに、アマは起きてきたのか・・・。

きっと、私たちのために、お弁当を作ってくれるのだろう。
感謝の気持ちでいっぱいになる。

4時くらいに、まだ寒々としている台所へ行ってみた。

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ろうそくの明かりの中で、
しっかりとショールを頭に巻いた、ミラとアマが、ロテイを焼いていた。
私たちのために、たくさんの生地を捏ねてくれていた。
デイグリも準備されている。
私も手伝う。
私が生地をまるめる。ミラがそれを、きれいな円形に伸ばす。アマが焼く。
次々と、焼きたてのロテイが重ねられてゆく。
ミラが、ネパール語で何か言う。
「うちのもち米を お土産に日本に持って帰ったらいい。」
どうやら、そう言ってくれているようだ。

ありがとう。

子供たちの大好きなガインジ(焼き芋)と、
沢山のガジャ(ニンジン)
暗い中、畑で抜きたてを、井戸できれいに洗ってくれたのだ。
カンチュウさんの時のように、
私たちにも、両手に抱えきれないほどの、お土産を準備してくれたのだ。
道中、困らないようにと。

5時前に、みんなを起こし、台所へ連れてゆく。
まだ寝ぼけている子供たちに、
ロテイやら、チャイやら、ガインジやら、
「カナ カネ!」(今のうちにちゃんと食べときなさい。)と、次々と出してくれる。

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裏のおばあさんまで、
デイグリと、ガインジと、シミー(豆)の炒め物の差し入れをしてくれる。

感激。

ああ、それからアマが、頭に載せる籠を差し出してきた。
昨日、ミラに部屋の外から鍵をかけさせてまでして、
夢中になって、編んでくれた籠。
一本一本、藁を色粉で染めるところからやってくれた。
家の仕事を一切放棄して、
一日中かかって編んでくれていた・・・。
やっぱり、私たちへのプレゼントだったの。

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ブバは、自分の売店まで行って、
カラーペンと、ビスケットを持って来てくれる。
こんな貴重品、いただいていいの?
遠慮している私たちに、
「子供たちにお土産だ。持って行け、持ってゆけ!」と言う。
うれしい。
ありがとう。ありがとう。

そして、まだ明けぬ空の下、お別れの時が来た。
「アマ、ダンネバード。ありがとう。」
手を合わせてそう言った時に、
ぽろぽろと、涙が落ちた。

バス通りまで、ブバとミラ、そして親戚のシバさんが、が連いてきてくれる。
彼は、私たちが、無事にバスに乗るのを、見届けたいのか、
昨日から、泊り込んでくれていた。
サローズも 追いかけて来た。
何か、私に渡してきた。
「メロ フォト。ウパハール!」(ぼくの、写真。プレゼント!)
わあ、いいの? 大切な物なのに・・・。
ありがとう。ありがとう。

この村に着いた時と同じ、星空の下。
土の上の暮らしとも、お別れだ。

さようなら、チョウダリの美しい村。優しい人たち。

ここでも、かけがえの無い、経験をさせてもらった。
ハイウエイまで歩きながらまた、手のひらに、「コトン」と、
小さな宝物のようなものが、落ちてきたように感じた。

バスを待っている時に、(ちゃんとバスが来るのだろうか?)
「フェリ アウノス」と、サローズが言う。
ええっと、フェリ・・・再び、 アウヌ・・・来る
ああ、「また 来てください」、
「また 来てね。」か!

「フェリ アウノス」
「フェリ アウノス」
何て 美しい響き。
また来て下さい。

「フェリ アウネ」(また来ます)
「ダンネバード」 (ありがとう)

「ダンネバード」 (ありがとう)

何度も言い合う。

空が白み始めた頃、
バスが、土煙をたてて、走って来たぞ。
あのバスかな。
この場に及んで、急にもよおしてしまい、
木陰でうんちをしていた太郎くんが、ギリギリセーフで、間に合った。

さあ、また長い長いバスの旅が始まる。
無事に、ポカラへたどりつきますように。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*村の女たち2

以前から、裏のおばあさんや、お嫁さんから、
「あんた、ここにいる間に、是非、チョウダリの衣装を着て、写真撮りんさい。」
と、言われていた。

ポカラへ帰る日が近づいた頃、
そのおばあさんの強い薦めで、
民族衣装を着てみることになった。
女たちに連れられ、
あーだ、こーだと、和やかに、
私のために、上から下まで見繕ってくれた。

私は日本では決して色白ではないのだが、
私の腕やお腹をまじまじと見て、撫でたり引っ張ったりして、
「白いねえ。」
と、口々に言い合っている。
初めて見る外国人の身体が、珍しくて仕方が無い様子。
おまけに、耳にピアスの穴が無いし、
髪の毛は短い。
耳や、襟足を触って、
「こりゃ、どうにもならんなあ・・・。」
と、困っている。

美しい装飾がされた、銀の耳飾をつけたかったのだろう。
髪も長くて、アップにできたら、
髪飾りも、サマになるだろうに。
うーーーん。
やっぱり、どの国のものでも、
民族衣装には、ロングヘアが似合うよなあ。

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上から下まで何とか身に着けたところで、
どこから引っ張り出して来たのか、
ずっしりとした銀の首飾りも出てきた。
家宝なのだろう。
首の肉に  ぐにゅっと食い込ませながら嵌めなければならない。
「もう、飾りは十分。これでいいよ。」と言うのに、
ミラは、どうしても、この飾りをつけさせたいみたいで、
「こうするのよ」と、何度もやって見せてくれるが、
痛くて、そんなもん、やりたくない。
何とか、勘弁してもらった。

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この後、ミラたちも、はしゃいで着替え始めた。

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この機会に写真を撮ってもらおうと思ったのだろう。

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にっこり笑って写って欲しかったんだけど、
みんな緊張して、
顔がひきつってしまったな・・・。

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2009年7月17日 (金)

ネパール子連れ旅思い出し日記*村の女たち。

アマ(お母さん)は、貫禄のある身体に、
チョウダリの伝統的な衣装を身に纏い、
背筋を伸ばして、裸足で歩く。

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ブバ(お父さん」)と共に、
健康の為だと、何年か前からサカハリ(菜食主義者)になり、
お酒も止めたそうだ。
ニームの木の枝を、
ちょいと、手折ってきて、葉を磨き、

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お腹の調子が悪いときは、
薬草を石で、コンコンとつぶして、
水と共に、ゴクリと飲んでいた。

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娘たちのように、石鹸や歯磨き粉は使わず、
昔ながらの暮らしを貫いていた。
カメラを向けても、自然体で、
恥ずかしがることも、身構えることもなく、
最高の笑顔を返してくれた。

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アマや裏のおばあさんや、お嫁さん。
土の家に、夜になると なんとなく女たちが集まってくる。
タルー語が 話せたら、
いっぱい聞きたいこと、話したいことがあるのに、
会話集片手に、
たいした話もできなくって、もどかしいが、
何や、かんやと、しゃべってみる。

まず、私の歳を聞いて、みんな驚く。
もっと若く見えるという。
42歳というのは、ネパールでは、たぶんお婆さんの歳なのだと思う。
子育ても一通り終え、孫もいるだろうし、
それだけのことを、経験しただけの、落ち着きもあるだろう。
私のように、未だ子育て初心者マーク。
3歳児の駄々っ子に、手を妬いていたりするのとは、
同じ40代でも人生の段階が違うのだ。

あるいは、強烈な太陽や、乾燥した空気に晒され、
子供の頃から 毎日野良仕事に明け暮れた 村の人の42年と、
日本人の、42年。
皺の刻まれ方も、老け方も、全然違うのだろう。

「アマは 幾つで結婚したの?」
「子供は何人いるの?」

みんな、いっぺんに打ち解けるのは、
この手の話だ。

普通は、10代の半ばで、親が決めた家へと嫁ぐ。
結婚式では、まだ幼い花嫁は、皆泣いてしまうと言う。
10代後半で、最初の子供が生まれる。

「アマも、お嫁に行くときは、泣いたの?」
「若い頃は、ずーっとお腹が大きいか、おっぱいあげてるかのどっちかだったんだね。」

そんな話を、身振り手振りですると、
みんな、笑って頷いたり、今度はこちらに質問してきたり。

「おっぱいは、何歳まであげていたの?」
アリナのお母さんが、私に聞く。

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「風歌と太郎は2歳。光は、ついこの間やめたところ。3歳よ。
でも、ほとんどの日本人は、1歳くらいで止めてしまうよ。あなたは?」

「アルピンは、まだ飲んでいるの。ネパールでは、遅くまでみんなおっぱいを飲むのよ。」

そんな 他愛も無いやりとりが、続く。

女は、身ごもって、お産して、おっぱいあげて・・・。
なーんや、日本人もネパール人も、同じやんか!

みんな、そんな顔をして、笑っている。

そう、女たちよ
土の上に暮らそうが、高層マンションに暮らそうが、
島に暮らそうが、砂漠で暮らそうが、
世界中どこ行っても、これだけは、みんな同じなのだ!

なんだか、うれしくなるなあ。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*赤ん坊のいる暮らし

アンビカのこの家には、
沢山の少年少女たちが、時間を問わず、 出入りしている。
もしかしたら、
珍しいお客さんがいるから(私たちのこと。)、
気になって来ているのかも知れないけれど、
挨拶も何も無しに、
当然のように、入ってくる。
ここのアマ(お母さん)や、ブバ(お父さん)も、
気にもとめていない様子。

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勝手にトウモロコシを取ってきて、焼いている。
電気が通っているときは、テレビを観ている。
井戸端に洗い物が溜まっていたら、洗っている。

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料理の下ごしらえと、手伝っている。

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年頃のお兄さんでさえも、
フラリとやってきて、
お婆さんの隣に座って、一緒に豆の皮を剥き始める。
小さな子と遊んでやっている。

誰がここの家の子なのか、
親戚なのか、ただの友達なのか、
最初は、区別がつかなかった。

どうも、ここの人たちは、
甥や姪を、自分の息子や娘のように言うことがあるし、
叔父や叔母を、父や母と言ったり、
そして、従兄弟たちを、兄や弟と、と言っていたりするようだ。
最初は、「一体、何人子供を産んだのだ?」と、わけがわからなかったが。

まるで、一族の年寄りは、みんな自分のお爺さん、お婆さん、
そして、大人は、お父さん、お母さん。
子供たちは、みんなの子供・・・・と言うかんじだ。

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完全な核家族で育ち、
親戚や祖父母とは、滅多に会わなかった私にとって、
こういうつながりの中で、
育っていくということは、とても興味深いことだった。

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お母さんがいなくても、誰かがお母さんのように抱いてくれる。
お父さんがいなくても、お爺さんや 叔父さんが、手仕事を教えてくれる。
どこかのお姉さんが一緒に寝てくれる。
どこかのお兄さんが、遊んでくれる。

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甘えてくる、妹や弟が、何人もいる・・・・。

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なんと、豊かな人と人とのつながりの中で、育てられるのだろう。
その豊かなつながりの中で、うちの子供たちも、
可愛がってもらえたのだ。

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そして、周りには、常に赤ん坊がいる。
誰かが子守をしてくれる。
(赤ん坊を ちょっと みていてくれる人がいるというのは、
忙しいお母さんにとって、どんなに助かることだろう。)

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幼い子が、自分の小さな腰骨の上に、
ちょこんと、赤ん坊を乗せて、
器用に抱きかかえつつ、遊んでいる。
この子たちこそ、まだまだ甘えたい年頃だろうに、
母親と同じように、
赤ん坊が、どうやったら泣き止むか、
どうやったら、喜ぶか、
熟知している。

私は 30過ぎて、自分が赤ん坊を産むまで、
抱き方も、どんなに可愛いいかってことさえも、
よく知らなかったというのに。

私にとって、
赤ん坊という生き物は、
その表情の変化、動作、感触、匂い、、、
一緒に暮らしてみて、抱いてみて、添い寝してみて、おっぱいあげて・・・、
そういう経験を積んで初めて、
心底可愛いなあと思うようになった。
産めば産むほど、そう感じるようになった。
(可愛いだけじゃないってことも、知ったけどね。)

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身近に赤ん坊がいない所で育った人にとって、
赤ん坊の存在というのは、
かつての私がそうであったように、
結構、未知なものなのではないかと思う。
可愛いのは可愛いが、どう相手したらいいのか、わからなかったり
泣かれると、うるさかったり、
全く関心が無い人だって、いるのではないだろうか。
(もちろん、身近に赤ん坊がいない人たちの中にも、
赤ん坊を、とても愛している人たちは、沢山いるだろうけど。)

アジアを子連れで旅してみて、
日本と決定的に違うのは、
子供を見る、現地の人たちの、温かいまなざしだった。
子供をいっぱい産み育てたであろう、
お年寄りはもちろん、老若男女、すべての人たちが、
どこへ行っても、温かく迎えてくれる。
子供を見るや否や、その人の中で何かが感知するみたいに、
表情が変わる。
バスで居合わせた、ニキビ顔の若いお兄さんたちが、

光ちゃんを見つけて、
照れながら、「この子を、抱っこさせてください。」と、
言って来たのには、感動してしまった。(タイでの話。)
日本では、ありえないんじゃあないか。

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これって、たぶん、
身近に赤ん坊がいるところで育ったかどうかの違いが、
大きいのではないかと 私は思う。

弟2人の出産の一部始終を見て、
新生児の頃から抱っこしていた風歌。
特別に、気持ちの優しいタイプでもでも無いと思うのだが、
彼は、赤ちゃんを見たら、
目の色が変わり、すぐ抱きたがるのだ。
「抱っこしてみたいなあ~。」と、
こそこそっと、私に言ってくる。

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ネパールの子に比べれば、
そんな経験豊富な方でもないが、
赤ん坊を可愛いと感じてしまうセンサーが、働くのだろうか。
特別に、小さな子供好きでも無いと思うが、
遊んでやるのも、うまいなあと思う。

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そんなかんじで、
ネパールだけじゃないだろうけれど、
大家族で育った人たちは、赤ん坊が常に身近にいるので、
赤ん坊や子供たちが、可愛くてたまらないのだ。
そして、赤ん坊が、どれだけ手がかかるかも、
よーく知っているのだ。

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これは、とても大事なことだと思う。
赤ん坊や子供たちが、大好きな国は、
赤ん坊や子供たちを、大切にするということだ。
バスでも、食堂でも、宿でも、子連れでどこへ行っても、
迷惑がられないばかりか、
喜んで、迎えてくれる。
そして、困った時には、さっと手を差し伸べてくれる人が 必ずいる。

どこへ行くにも、子連れは気を使わなければならない日本。
子供という生き物は 泣くのが当たり前、ダダを捏ねるのも当たり前、
じっとしていられないのも当たり前なんだけど、
よそ様に迷惑をかけてしまうということで、外出も身構える。

ネパールでは、どんな満員バスでも、
誰かが、子供を抱き寄せて、
自分の膝に乗せてくれたり、
席を譲ってくれたりした。
優先座席なんて、わざわざ確保する必要が無いのだ。
タイでは、道路を横断するときに、
たまたま居合わせた人が、
さっとうちの子の手を引いたり、
抱いたりして、一緒に渡ってくれた。
その 迷いの無い行為が、とても自然なのだ。
当たり前のことをしているだけ・・・・と言ったかんじ。
私も そうありたい。

私たちは、
子供を大切にしてくれる、この国のおかげで、
こうやって、のびのびと旅を続けられているのだ。

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2009年7月16日 (木)

ネパール子連れ旅思い出し日記*散歩

夕暮れ時、よく散歩をした。

時々、お連れがいた。
向かいのラムチャランという名前のおじさん、

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サドウ(行者さん)。
近所の女の子。

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言葉は通じないが、何やかんやとしゃべりながら歩く。
途中で、どこからか帰ってくる、
太郎くんや風歌と ばったり会うこともある。

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メインの通りから、わき道へ入る。
どこまで行っても、土の道が続いている。

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歩いていると、
どこからか、呼ぶ声がする。
「アンテイ!アンテイ!」
aunt=おばさん→ん?私のこと?
まあ、日本語よりは、可愛い響きやな。

呼んでいたのは、むこうの麦畑で、働いているミラ!

うわー、みんなちゃんと働いているんやなあ。

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「おーい!ごくろうさま!」

村はずれまで、歩いてゆくと、
見渡す限り、田園地帯が広がっている。
サリー姿や、パンジャビ姿の女の人たちが、
夕日の中で、作業をしている。

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まるで、ミレーの絵のようだ。

陸の孤島と呼ばれているような、
過疎の山里で暮らしている私たちにとって、
どこへ行っても、子供や動物たちで溢れ、
お年寄りも、若者も、生き生きと、野良仕事に勤しんでいる 
活気あるこの村の様子が、
とても、新鮮だった。

そして、車に侵略されていないこの村に、
何とも言えない 開放感を感じた。

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車の心配をせずに、
子供たちが、気ままにぶらぶらと歩けるというのは、
何と、幸せなことだろう!
(水牛に ぶつからないようにね。)


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カーストが低く、とても貧しい地域だと聴いていたが、
ここで見る限り、肥沃な土と、豊かな水があり、

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家の中の巨大な壷の中には、穀物がたっぷり蓄えられている。

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冬の今でさえも、キャベツやニンジン、カリフラワー、ジャガイモ、豆類、高菜、、、、
さまざまな、野菜が収穫できている。

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夏になれば、さまざまな果物が 次々と熟し、

食べきれないほどだろうし、

(庭のマンゴーの林に実がいっぱいぶらさがっているのを、

想像するだけで、ヨダレが出そう。)

漬物や、乾物などの、日本とよく似た保存食の知恵もある。

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スパイスや油も、完全では無いが、自家製を使っている。

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(↑ターメリックをふるいにかける。)

歩いてまわれるほどの大きさの、この村の中で、
ほとんど、自給できているではないか。

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食料自給率が40%と言われる日本は、
毎日 口にするパンや豆腐の原料さえも、
輸入に頼っている。
輸入先の国と、トラブルでもあれば、
たちまち、食糧不足になるかも知れない。
お金を持って、店へ行っても、
買う物が、何も無いという事態が、
起こるかも知れない。
そうなると、お金の価値なんて、無くなるのだ。

貯金をどれだけしているかよりも、
私は、壷に一年分のお米がぎっしり詰まっていて、

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次の年に蒔く種があって、

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耕す土地があることこそが、
「豊かな暮らし」「「安定した暮らし」だと思うのだけど・・・・。

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そして、依存しない、手づくりの暮らしを持続してゆく知恵こそが、
財産だと思うのだけど。

私は、そういう暮らしに憧れる。
そんな暮らしに、少しでも近づきたいと思う。

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他国で何が起ころうと、
日本の経済が破綻しようと、
子供たちが、
どっしりと、大地と根を張り、
生き抜ける知恵を育むような教育を
私は、何よりも、まずは大切にしたいと思う。
この村の子供たちのように。

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そんな豊かで、美しい村であるが、
時代の流れと共に、暮らしぶりも、
変化していっているようだ。

若者たちは、
昔ながらの、ハーブなど天然の物で、歯磨きや洗髪をしない。
香りのきつい石鹸や歯磨き粉、
合成洗剤などを、たっぷり泡立てて、垂れ流していた。
こういうもの・・・、
<大地からは、生まれてこないもの>は、
現金で買うしかない。

おまけに、こういうもの・・・、
<大地から、生まれてこないものは>大地へ還らない。
そのことに気がついている 村の人はいるのだろうか。

現金収入の為に、村人たちは、インドへ出稼ぎに行っている。
家畜の世話役だけ残して、
一年に一度の田植えの仕事らしい。
インド人がバスで迎えに来て、子供も大人も、皆行くと言う。

あるいは、一族の中で何人かが、
家族を離れ、都会や海外へ出稼ぎに行っていたりする。
近くに住むアンビカの従兄弟は、
シンガポールで働き、
この大きなテレビと一緒に帰って来たのだと、
誇らしげに言った。
テレビやDVDデッキ、自転車などの高価なもの、
それから、レンガ造りの家などがあるところは、
誰かが海外で稼いでいるのだろう。
現金収入が、
村の暮らしを支えている面も、確かにある。

私にしたら、家族が離れ離れで暮らさなければならないくらいだったら、

テレビもDVDも、無けりゃ、無くてもいいし、
シャンプーや洗剤もいらんわ、
アマが手作りしている、天然の歯磨きや
薬、オイルなどがよっぽどいい。

・・・なんて、そんなこと、

出稼ぎしなくても、いつでも欲しけりゃ手に入る日本人だから、言えるんだろうな。

テレビはいらないけど、PCは毎日使ってるしね。

願わくば、

土と共に生き、
季節の巡りに寄り添って暮らしを営む、
チョウダリの人々が、
この豊穣な大地や、川が、
末永く、健やかであり続けますように。

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2009年7月15日 (水)

昨日と、今日のこと。

*昨日、昼間っから下りてきた鹿。

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5人に見つめられてるのに、
悠々と、何やら食べておる。

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ニラやら、ロケットやら、茗荷やら、
何から何まで食い尽くしていく、憎いヤツだけど、
金色の毛並み。まだ柔らかそうな角。
うっ美しい・・・・。お友達になりたい・・・。

*昨日の おやつ。
かぼちゃと、小豆の蒸しケーキ。
ちょっと、ボコボコして品が無いかしら。

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**今日**

男3人は、手づくり市へ行ったので、
光ちゃんと、ふたりぼっち。
(新鮮やなあ・・・。)

ごはんも、こぢんまり。ふたりぼっち。
(2人分は簡単でええなあ・・・。)

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散歩も ふたりぼっち。
(静かやなあ・・・・。)

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帰って来てから、

光ちゃんは、「ブラックジャック」を読んで(見て)いる。

私は、縫い物。
ちくちくちくちく・・・・・・。

のんびりできるなあ・・・・・・。

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子供が一人だと、毎日、こんなかんじなんやろか?

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2009年7月14日 (火)

ネパール子連れ旅思い出し日記*招かれる日々2

私たちの、苦しみも知らず、
家の人たちは、
とにかく、私たちに、いっぱい食べて欲しいようだった。

朝は、焚き火で、ガインジ(サツマイモの一種)、
モッカイ(もちトウモロコシ)を、焼いて つまみ食いする。
食べなきゃいいんだけど、
近所の子供たちが、次々と持って来ては、
焼いてくれるので、なんとなく食べてしまう。
これが、結構お腹が膨れる。
そのうちに、甘いチャイを入れてくれる。

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昼は、山盛りのダルバート。
夜も、山盛りのダルバート。
(どちらかは、よそのお家に招待される。)

その間に、ロテイなどのおやつが入ったりする。
(この米粉のロテイが絶品なので、よせばいいのに また食べてしまう。)

近所を ぶらぶら歩いていると、
「カナ カネ!」(ごはんだよ~。)
と、スニタやミラが、呼びに来るのだ。
「ぺー バリョ。」(お腹いっぱいやねん。)と言っても、
「カナ カネ!」と、繰り返す。

これでは、お腹の休まる時がない。
何とかせねばと、バナナ以外は、口にせず、
(今の季節、バナナくらいしか果物が無い。)
お腹の休息日を、意識的に作る。
家の人たちは、心配するが、
「カネ ルチ バエナ」(食欲がない。)
と、会話集からそんなフレーズを見つけて、
繰り返し説明する。

しかし、他人には「NO!」と言えない男、ハルフミさんは、
(ネパールでは、これが裏目に出るのだよ!)
次々と襲ってくる食事の誘いを、断ることができない上に、
子供たちの残り物まで、気を使って食べ、
とうとう 一日ダウン。
針のムシロを歩いているような、痛痛しい顔になって、
家の人たちに、かえって心配をかけることになった。

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そんなわけで、時々 野菜スープを、自分たちで作らせてもらった。
台所の土の床に、転がっている適当な野菜と、
塩だけの、シンプルなスープ。

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今回の旅で唯一持参した、日本食の海苔を、ちぎっていれると、
おおっ!ほのかに、お澄まし風になる。

子供たちは、この味も素っ気も無いスープを、
何杯も御代わりし、大喜びで食べてくれた。
身体の中に、何の刺激も無く、すーっと吸収される、
平和なこのかんじ。癒される~~。
マサラ味だと、こういうわけにはいかず、
胃袋の中が、いつも油やスパイスと戦っている感じがするのだけど。

不思議なことに、
この野菜スープを食べていると、
身体が受け付けなくなっていたはずの、
ダルバートにも、手が伸びるのだった。
なぜか、ちょっと食べてみたくなるのだ。
「へーーーっ?何でやろ?」という感じだったが、
子供たちも、同じ感覚になるみたいで、
スープと共に、進んでダルバートを食べていた。(懲りない人たち。)

この淡白なスープが、過激なマサラと油を、溶かし、
燃えている胃の中を、穏やかに鎮めてくれるようだった。
こんなスープが、食欲増進剤になるとは。
これさえ作ることができれば、何とか、望みが持てそうだ。

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そして、私は極力、少食に努めた。
それ以外に、自分の胃袋を守る道は無い。
食事のときは、アマやミラが、
プレートに、山のようにごはんを 
手で ほぐしながら盛ってくれるのだが、
「ちょっと 待ったあ!!」
と、割って出て、3分の2くらい鍋に返す。
すると、アマが、怪訝な顔で見る。
「こら!もっと食べなあかん!」
って、母親みたいに言ってくることもあったし、
「あんた、たった、これだけしか食べないのかい?
そんなやせっぽちの身体で、大丈夫か?」
怪訝な顔をすることもあった。

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いやいや、足りないくらいに思い切って減しとくので、
ちょうどいいのだ。
風歌も、こうやって、
最初から減らすようになった。

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こういう、ちょっとした要領を得るのに
時間がかかってしまったが、
最初っから減らす作戦で、
なんとか、胃袋の状態は、保たれた。

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↑バス通りまで、バナナを買いに。


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2009年7月13日 (月)

ネパール子連れ旅*思い出し日記*うんちのゆくえ

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これまで、ただ一人、
お腹を壊していなかった光ちゃんまでも、
ここへ来て、うんちが緩くなってきた。
真夜中に、お腹がいたいと言って起きる。
外に出て、そのへんで、うんちをさせる。
土をかぶせておく。

ある晩、光ちゃんを、
コンクリートのテラスのようなところから、
ささげて、おしっこをさせていたら、
緩いうんちまで出てしまった。
しまった。
コンクリートの床を 汚してしまった。
・・・・と 思いきや、
この家の犬が、さっと近づいてきて、
きれいに、舐めてくれた。
光ちゃんのお尻じゃなくって、コンクリートの床の上を。

ああ、キミはいつも、
光ちゃんのうんちの痕を、そうやって片付けてくれていたのかい。
どうりで、翌朝、跡形も無いなあと思っていたよ。

次の夜、彼は(犬のこと。)は、光ちゃんをささげている すぐ横で、
今か、今かと、待っておった。

村の犬は、誇りを持って
番犬として 夜を徹して働いているようだが、
子供のうんちを食べなきゃいけないくらい、
まともなものを食べていないようだ。

というわけで、
ネパールの ワンちゃんと、チューをするのは、やめておきましょう。

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河童3兄弟&影響を受けやすい人たち。

最近、3兄弟は、

川へ、足繁く通っておる。

半水生生物と化している。

朝起きて、一泳ぎ。
ここがガンジス川なら、沐浴ってとこか。

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昼ごはん前に、また一泳ぎ。

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ごはん後に 腹ごなしの一泳ぎ。

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おやつ前、涼みに一浴び。

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夕方に、最後の一浴び。

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突然の、大雨に襲われても、

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 これまた 愉快、愉快!

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明日も、晴れたら こんな一日?

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(↑光ちゃんは、裸族になりました。)

プールで泳ぐのも、練習になるやろし、
先生にちゃんと、教えてもらえるやろし、
先生も、誘ってくれてるし、
学校でプールがあるときは、行ったらええやん・・・と言うんやけど、
こんな一日の方が、好きみたいやなあ・・・・。

**********************************

外で、トンカチを叩く音がする・・・。

やっぱり!

「荒野の七人」を観たもんやから、(ユルブリンナーって格好いいなあ。)

さっそく、作っておる。

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太郎くんは、ライフルの覗き穴を なんとかして、固定したいが・・・・。
こりゃ、難しそうやなあ・・・。

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風歌は、玉を入れるところも、作ってみたい。

時間かけて、
何度も、何度も、失敗して、試行錯誤して、
作っておりました。

この後、ステイーブマックイーンや、ユルブリンナーのような、
打ち合いをするんやろか。

まったく、すぐ影響受けるんやから・・・。

男って単純やなあ。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*招かれる日々

チョウダリの村にいる間、
私たちは、毎日!
どこかのお家から、
食事の招待を受けることになった。

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それは、突然知らされる。
ダルバート続きで、お腹が疲れているので、
今日こそは、塩味だけの野菜スープを作るのだと、、
準備をし始めたところで、
突然、アマやミラが、
身振り手振りで、言って来る。
「今から、○○さんとこで、食べておいで!」
あるいは、招待をしてくれる家の人が、
有無を言わさず、迎えに来る。

「メロ ガル、カナ カネ!」(私の家で ごはん食べますよ。)

「えーーーっ?いつの間に、そんなふうに決まったのお??」

初めてこの村にやってきた、
この異国人の家族が、
珍しくて仕方が無い?
興味深々?
もっと近づきたい?
わが家の料理を食べて欲しい?

珍しい人たちよ!
とにかく、家に来て欲しい!

どうせ、行っても、
同じダルバートやんけ!
おまけに、よそのは もっと辛いし!、
3兄弟も、毎日毎日付き合わされて、げんなりである。
今思えば、よくつきあってくれたと思う。

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だけど、きっと日本が どこにあるのかもわからないような、
素朴な村の人たちが、
普段は食べないであろう、
ニワトリの肉や卵付きの、ごちそうダルバートで、
精一杯に、おもてなししようという気持ちが、
料理からも、私たちを見つめる眼差しからも、
いっぱい伝わってくる。

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だから、こちらも感謝の気持ちで、
精一杯、(限界まで!)
「ミトチャ!」(おいしい!)と、
心をこめて食べるのだ。

しかし、現実は、
招待続きで、私の胃袋は悲鳴を上げ続けていた。

みなさん、良かれと思って、
ごちそうしてくれるのは うれしいのだが、
お腹の中は、カッカと燃えているようだ。

残すのは失礼だし、、と、
ちょっと、無理して、
卵や肉を食べてみた夜は、
ムカムカして、気持ち悪く、眠れない。
卵や肉のことを、考えるだけで、
ウエーーーっとなってしまう。

「私はサカハリなのです。」(菜食主義者)
と、言っているのに、
それでも、肉を出さないことには、
気が済まないのだろうか。
普段 食べないだけに、
一口食べただけでも、ヘビーなのである。

しまいには、普段の、野菜づくしのダルバートさえも、
だんだん、ヘビーに感じるようになった。

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あの、マスターシードの油がきついのだろうか。
それとも、濃い味付けのスパイスか。

強靭な身体と、恐らく強靭な、胃袋も持っているであろう、
タルー人の人々と、
同じものを食して暮らすというのは、
やはり、無理があるのだろうか。

さて、そんなふうに、だんだんみんなの胃袋が弱ってきた。
家族の中の誰かが、いつもお腹を壊していた。

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2009年7月10日 (金)

はるや通信*手づくり市他。

008

こんばんは。はるや@ゆみえ@BCC通信です。

最近、ネパール思い出し日記を、
書くのが 忙しくて、
はるや通信の方が、
ついつい おろそかになっております。
あしからず。
少しの間、ご無沙汰でしたが、
はるや一同、
雨に濡れて青々とした山に囲まれて、
元気に過ごしておりますよ。

007

今週も、雨がいっぱい降るだろうと、
京都に出たときに、DVDを借りてきました。
そして、さっそくお家で映画会。
本日は、バスターキートンの 「大列車追跡」。
80年以上前の名画!渋いっ!
太郎くんは、畳を打ち鳴らして笑っておりました。
こんなアナログな映画が 子供らにウケルとは、
うれしいです。
明日あたりは、「荒野の7人」にしようかなと思っております。
あの黒澤明の「七人の侍」をもとに
作られた、西部劇です。

一家揃って ハマっていた、「ロードオブザリング」の、
余韻も、まだ残っていて、
(いやあ、ほんまに面白かったわあ。)
風歌は、「ホビットの冒険」という、
指輪物語の、プロローグ的な物語の本を、
今は 楽しんで読んでいます。
それから、漫画「ドカベン」にもハマっております。
「いわき~!」とか、「殿間」とか、
懐かしいわあ。
ホームスクーリングは、
はまり放題できるのが、いいですな。

003

(↑ロードオブザリングの、弓の名人レゴラスのつもり。)

さて、7月15日は知恩時手づくり市ですね。
いつもの場所・・・メインの通りと、鐘のお堂の間あたり。
いつもの相方水田家と共に、
出店しています。
よろしくね。

ほんでもって、翌日16日は、私の誕生日。
毎年、「プレゼントは 要らん!欲しいものは、みんな持ってる。」と、
言い張っているのですが、
母ちゃんが怖いのか、ボスは、
気を使って、何か買って来てくれたりするんですよね~。
(のろけているわけでは ありません!)
それが、ちょっとピントが外れていたりなんかしてね~。

でも、今年は、自分で可愛い柄物の足袋を買おうかなあと思ってまーす。
えへへ。

最近、光ちゃんも 自転車デビューしましたよ。
ボスと3兄弟が、拾ってきた補助輪付き自転車。
(我が家は、拾い物、貰い物で、ほとんど成り立っています。)
光ちゃんには、かなり大きいけれど、
本人は、乗る気まんまん。

風歌のときも、太郎くんのときも、
確か、初めて乗るときに手伝ってやったと思うのだけど、
光ちゃんの時は、
風歌と、太郎くんが、つきっきりで、
やんや、やんやと、
応援してくれてました。

009

ああ、3人目となると、親は引っ込んでいていいんやなあ。
兄弟って、いいなあ、としみじみ。

***    。。。。。 ******* 。。。。。。。。

あ・・・あれ・・・?
なんやあ、
結局、風歌が、乗ってるやんか。

010

自分が乗りたかったんかいな。
なーんや。
太郎くんに、後ろ押してもーて。

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では、また。




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2009年7月 9日 (木)

ネパール子連れ旅思い出し日記*村の娘たち。

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娘たちは、よく働く。
朝暗いうちから、
キーコキーコと、井戸のポンプを押す音が聞こえる。
洗い物、掃き掃除、食事の支度、野良仕事。
パンジャビドレスの裾をひらひらさせて、、
さっそうと動き回っている。

手伝いというより、
どの仕事も、しっかりと板についているので、
小さなお母さんが、何人もいるみたいだ。

私たちが居候していた この家には、
ミラ、スニタ、パシュパテイとう、3人の可愛い娘さんがいた。
パシュパテイは、従姉妹になるらしいが、
ずっと、この家に住んでいる。
他にも、兄妹は、いっぱいいるようだけど、
お嫁に行ったり、
出稼ぎ中だったりするので、
今、ここで暮らしている子供たちは、
彼女たち3人と、
末っ子の男の子サローズだけである。
女の子でまわっているような家族だ。

一番年長のミラは、22歳。
15歳くらいで、親が決めたところへ嫁に行かされる
というパターンが多い、
ネパールにしては、
村で22歳で、独身とは、珍しいのではなかろうか。
もう、いつでも、お母さんになれそうなくらい、
しっかりして、落ち着いていて、
母性もいっぱい備わっていそうな、
頼もしい、ミラ。
転ぶか何かして、べそかいた光ちゃんを、
抱き寄せて、上手に機嫌をとってくれるミラ。

(↓泣きべそ顔だったのが、
  ミラのおかげで、だんだんと立ち直ってゆく光ちゃん。)

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忙しいアマに代わって、
さっと おやつを用意して、
3兄弟に、食べさせてくれるミラ。

いつか、ミラの結婚式に、
私たち、またやって来るからね!と、約束している。

スニタは、エキゾチックな顔立ちの、
キリリとした女の子。

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彼女が、ブバ(お父さん)の、
小さな売店の店番をしている時は、
年頃の男の子たちが、群がっていたなあ。

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スニタとは対照的な、
柔らかい雰囲気の、パシュパテイ。
3兄弟の<毛づくろい>を、よくしてくれてたな。

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スニタだけじゃなくって、
お姉さんたちみんな、
3兄弟の頭を ネパールの少年みたいに
7・3分け(?)にセットするの、
好きだったなあ。
以外にも風歌は この髪型が、
サッカーの○○選手みたいだと、お気に入りだったな。

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パシュパテイも、スニタも、
毎日、家畜の餌の草刈りを、
本当によくがんばっていた。
ここでは 当たり前のことなのだろうけれど、
日本で、この年頃の子たちが、
野良仕事をしている姿なんて、まず見られないから、
感心してしまうのである。

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すぐ裏の親戚の娘アリナは、
天真爛漫で、自由奔放。

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悪く言えば、わがままで意地悪。
太郎くんを、からかって、
大喧嘩になったことが何度かあった。
私も意地悪されて、
本気で怒ったことがあった。
どうしたら、
こんな子に育つのだろうかと、思うくらい、
個性的だった。
それでも、弟のアルピンの子守も、
家の仕事も、ちゃんとこなしていた。

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さらに、この家の子らのほかに、
常に、何人かの女の子たちが出入りしている。

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その子たちも、
気ままに、訪ねて来ては、
井戸で洗い物をしてくれて帰ったり、
連れ立って、家畜の餌を採りに行ったり、
川へ洗濯や水浴びに行ったり
薪を切り出しに行ったり。

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小さな女の子も、年頃の娘さんも皆、
働くときも、遊ぶときも、
テローンとしたパンジャビドレスを着て、
身体の一部のように、
肌身離さず、長いスカーフを肩にかけていた。

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この格好だと、
野良仕事をしていても、
薪を担いでいても、
なんだか、エレガントに見える。
日本だったら、
もんぺに、手ぬぐいを姉さん被りってところかなあ。
(えらい 違いやなあ。)

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そんな彼女たちは、
学校が休みの日には、
(一応、学校に通っているようだ。)
連れ立って、川へ水浴びと、洗濯に行く。
強い日差しの下、キラキラと川面が光っている水辺で、
お互いに、長い美しい髪を ていねいに梳きあって、
シャンプーや石鹸を、たっぷり使って、
上から下まで、きれいに、洗っていた。
肌を見せないように身体を洗い、
服をすっかり着替えてしまう、技を持っているのだ。
インドの美しい細密画の、
1シーンのように、それは、絵になる光景だった。
川の流れのように、
時間も ゆったりと流れていった。

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2009年7月 7日 (火)

ネパール子連れ旅思い出し日記*村の暮らし3

2月16日

朝から、アマ(お母さん)たちは、
台所で、ずっと、作り続けている。

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かまどに、火ははいりっぱなし。

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今日は、
私たちを、ここへ連れて来てくれた、
カンチュウさんとアンビカが、
カトマンドウへ帰ってしまう。
(とんぼ帰りの帰省だった。)
2人に持たせる、お土産の、
郷土料理を せっせと作っているようだ。

ここで採れたもち米の粉で作った チャパテイ。

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米の粉で作るチャパテイなんて、初めて。
米どころならではの味。
もちっとして、とても美味しい。

米粉を練って、棒状に伸ばし、蒸したデイグリ。

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ちまきのようなもの。
塩も砂糖も効いてない、なんとも、素朴な食べ物。

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めちゃくちゃ辛いか、甘いか、どちらかというような、
刺激的な食べ物を食している、
ここの人たちが、
なぜ、こんな<味の無いもの>を、
わざわざ手間をかけて作るのか、わからない。
お祭りや、結婚式など、特別なときに作るものらしいが。

味は無いが、うちの子供たちにとっては、
マサラ無しで安心して、食べられるものの
貴重な一つだった。

それから、ふやかしたダル豆を、マサラで、しっかり味付けし、
団子にしたものを、蒸し、

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そのあと、乾燥させ、

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さらに、輪切りにして、油で揚げたもの。

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これも、とても手間がかかっている。
蒸したり、乾かしたりせずに、
そのまま揚げたのでは、いけないのかしら?

お昼は、
カンチュウさん夫婦との、最後の食事のために、
特別に、ニワトリが絞め殺され、
私たちも呼ばれて、
一緒に、ダルバートを食べた。

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コップに 自家製のジャール(どぶろく)が、
なみなみと、注がれた。
このお酒も、
米どころならではのもの。
どの家でも、仕込んでいて、

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何かあれば、たっぷりと振舞われる。
口当たりは、甘くて、
飲みやすいかんじだが、かなりきつくて、
酒に弱い私は、ペロっと、一舐めするくらいで精一杯。

ここの人たちは、
何杯も飲んでいて、驚かされる。
もしかしたら、子供の頃から飲んでいるのだろうか?

さて、山ほどの、お弁当と、
採れたての野菜や、米など、
箱や袋に、どんどん詰め込み、
縄で頑丈にしばられ、荷造りが進む。

ブバ(お父さん)が、
優しい眼差しで、それを見守っている。

都会の野菜は、美味しくないからと、
自分の畑で採れた 米や野菜を、
娘や孫たちに、食べさせたい親心。
なつかしい、チョウダリの村の食べ物を、
待っている人たちにも、食べさせてやりたい親心。
道中、食べ物に困らないように、
じゅうぶん持たせてやりたい親心。

そういう雰囲気が、いっぱい伝わってくる。

日本のように、宅急便があるわけではないので、
このような時にしか、
持たせてあげられない。
そして、ここから、カトマンドウへは、
果てしなく、遠い道のりを、行かなくてはならない。
(京都からネパールへ行くよりも、時間がかかるのだから!)
カトマンドウへ行ったことも無いアマ(お母さん)たちにとったら、
外国にでも、行ってしまうような気持ちなのだろう。
無事に着きますように、
また会える日まで、元気でありますように、という願いを、
たくさんのお土産に託しているようだ。

それにしても、
こんなにたくさんの荷物と一緒に、
カンチュウさん夫婦は、
どうやって、カトマンドウまで、移動するのだろう。
ローカルバスで、揉みくちゃになりながらも、
助けてもらったりして、
たくましく、時には、あつかましく(?)、
何とかするんだろうなあ。
(バスの旅では、よくそういう場面に出くわすのだ。)

お別れに、写真を撮り、

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一昨日の夜、ここへ来たときと同じように、
頭をチョンとする挨拶をして まわっている。
来たときと同じ、
静かなお別れの ひととき。

そして、
思い荷物を、子供たちが、
一つづつ、頭に載せて(しかも、両手放しで!)
大通りまで、見送りに行った。
たのもしい、子供たち!

日本人のように、両腕に抱えたり、
脇に抱えたりするのよりも、
頭に載せる方が、
身体の負担も少なく、
重たいものを運びやすいのだろうと思う。
だいたい、世界中を見ても、
こうやって、
頭に物を載せて運ぶ民族の方が、
多いのではないだろうか?

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私は、このスタイルに、
とても憧れている。

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うちの子供たちにも、
是非、このやり方を マスターして欲しいものだ。
(私は、ダメだったけど。)

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さあ、
通訳してくれたり、
村の生活や習慣を説明してくれていた、
カンチュウさんは、いなくなってしまった。
これからは、簡単な英語さえも、通じない。
ネパール語だけで、やっていかなくちゃ。
頼りになるのは、薄っぺらいネパール語会話集一つ。

どうなることやら!


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2009年7月 6日 (月)

ネパール子連れ旅思い出し日記*村の暮らし2

2月15日

今日は、朝から風がよく吹いている。
風に吹かれながら、どういうわけか、南インドを思い出して、
なんとも懐かしい気持ちに包まれる。
大陸からの風なのか・・・・・。

風歌と太郎は、
ここのファミリーの子供たち、
アリナや サローズたちに、誘われて、
家畜の餌にする、草を刈りに出かけた。

長い間帰って来ないので、
風に誘われるように、
ふらりふらりと、家の敷地を抜けて行くと、
一面の、青い麦畑!

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艶々と、心地よい風に波立っている。
そして、ダル用の豆畑、コリアンダー畑、オイル用の青いお花畑。
どこまでも、どこまでも、豊かに広がっている。

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貧しいカーストの村だと聞いていたが、
こんなにも、豊かではないか。
なんと、豊穣な村なんだろう!

麦畑の中で、
風の中、子供たちが、草を刈っている姿が、
見え隠れしている。

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草の中にしゃがみこんで、せっせと作業している。
作物の中に、混生している雑草だけを、
刈り取るようだ。

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少しでも多く刈り取っておこうという気持ちが、
サローズの 熱心な働きぶりから、伝わってくる。

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笑いながらでも、真剣だ。
生き生きと働いている、彼らの伸びやかな肢体、
その無駄の無い動きが、
美しいなあと思う。

一方、いきなり、慣れぬ作業と、
強い日差しで、風歌も太郎も、バテていたが、
翌日からも、
ちょくちょく、2人は、
この仕事のお供をすることになった。
(ちゃんと、働いているかどうかは、知らないけど。)

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時間がくると、
「フータ! タロウ! グラース!」(草刈りに行くでー!)
と、お声がかかり、
時には、楽しそうに、
時には、しぶしぶと、お姉さまたちの後を、
連いて行っておりました。

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2009年7月 3日 (金)

ネパール子連れ旅思い出し日記:村の暮らし1

チョウダリの村。
初めての朝。

チトワンと同じ、霧に包まれた朝。

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娘さんたちが、
井戸で 洗い物をしたり、
掃き掃除をしたり、
せっせと、働いている。

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「ナマステー」と、
挨拶をして、

さあ、そこらへんを 歩いてみよう。
わくわく。

まあまあ、なんとここは、
動物たちの 多いこと多いこと。
水牛、山羊、羊、豚、牛、犬、猫、鶏、アヒル、
鳩も食用かあ。
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うわっ!子ブタたちの、可愛いこと!

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そこらじゅうを、何匹かが、だんごになって、
転がりまわっている。
私はすっかり、魅了されてしまった。

チトワンと同じく、土の家。
踏み固められ、毎日掃き清められている庭。

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村の人たちが、珍しそうに、こちらを見ている。
それも そのはず、
この村に、異国の人が来たのは、
どうも私たちが、初めてのようなのだ。

しかも、大の大人が、
いつまでも子豚なんぞに見とれているので、
ヘンに思っているのだろうな。
(子豚の写真を撮るのは、控えましょう。)

村の大通り・・・・と言っても、
車が一台通れるほどの、土の道。

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でも、車なんて、滅多に通らない。
たまに、自転車に乗っている人がいるくらい。
人間も、水牛も一緒に歩いている。
背に一杯の薪を運ぶ人、
鍬を担いで、畑へ向かう人。
頭の上に、大きな籠を載せて、
背筋は、ピンッ!
そして、大手を振って 歩く人。
本を持って、学校へ向かう人。
走り回る子供たち。

一年中、歩行者天国。動物天国。

みんな 車もバイクも自転車も、
ベビーカーも、
持ってなきゃ、
歩くのだ。自分の足で。
この、歩く早さで、人力で、
すべてが、ゆったりと、まわっている。
映画で観る、中世の農村のようだ。
(黒澤明「七人の侍」の農村を思い出して仕方なかった。)

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小さな集落を抜けると、
はるか遠くまで、田園風景が広がっていた。

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昨日、一日かけて、やっとこさ辿り着いたこの村は、
そんな、おとぎ話のような、ところだった。

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ここは、タライ平原。
タルー人チョウダリ族の 小さな村。
山のむこうは、憧れのインド!

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歩いて一日で行けるらしい。
えらい、遠くまでやってきたなあ。
タライ平原のこんな西までやってくる観光客なんて、
いないだろう。

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かつて、この平原一帯は、密林で、
象や虎やサイなどの野生動物の宝庫であると同時に、
マラリアなどの、疫病の宝庫でもあったと言う。
強靭な肉体を持つタルー人たちが、
先住民として、この地を耕し、暮らし始めた。

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さあ、そんな強靭な人たちに囲まれて、
私たちはしばらくの間、暮らすのだ。

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散歩して、心ときめかせて、家に帰り、
みんなとたき火にあたった。
甘くて、美味しい、チャイが出てきた。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*チョウダリの村

2月13日

暗闇の中、村の中を歩いてゆく。
土の道を歩いているが、
足元も、周りの風景も、何も見えない。
「水牛や、牛や、豚や、山羊がいますよ。」
カンチュウさんが、言う。
何年ぶりかの帰省で、
しかも、珍しいお客さんを連れているので、
ちょっと、興奮気味なのが 伝わってくる。

10分くらい歩いただろうか、
アンビカの実家に着いた。

暗がりの中から、
家族の人たちが、静かに迎え出てくれた。

私たち家族は別として、
カンチュウさんとアンビカの、
久しぶりの帰省だと言うのに、
この静かで おとなしいお出迎えは、何だろう?
いつも、こんな感じなのだろうか?
(もっと大騒ぎしそうなものだけど。)
不思議な雰囲気だった。

物静かなお父さん。
アンビカと同じ、丸顔のかわいい妹たち。
ああ、お母さんが、
やっぱり、丸顔でチャーミング。

アンビカが、
お父さんやお母さんの方へ、歩み寄り、
頭をちょこっと下げると、
髪の生え際あたりに、
相手が、手をちょんとのせる。
これを、色々な人と繰り返していた。
そして、
一言、二言、ぼそぼそと、
静かに、会話していた。

後ろの方から、
いっぱいの、クリクリの黒い瞳が、こちらを見ている。
みんな、好奇心いっぱいの目で、
何か囁きながら、ニコニコしている。

土の家に通される。

みんなが ぞろぞろ連いてくる。

おおっ!
家の中に、身の丈以上もある、
素焼きの壷が いくつも並んでいた。

昔、図鑑で見たことがあったが、
まさか、そんな、秘境のようなところに、
家族揃って はるばるやってくるとは・・・。

壷の中には、穀物がぎっしり入っているらしい。
なんと、豊かなんだろう。
なんと、美しい家なんだろう。
ちょうと、電気が通っている時間だったので、
薄明かりの中で、
その、シンプルな家の中を 見渡すことができた。

ふわふわした、土の床。
やはり土で固められた、小さな竈。
網戸のついた、木製の食料棚。
あとは、壷。壷。壷。

食事が出てきた。
土の上に、ゴザを敷き、
並んで座った。

ネパールでは、
その家の人と、お客さんとが、
同時に「いただきます。」と食べない。
お客さんが食事をするときは、
給仕に徹するのである。

家族の人たちが、固唾を呑んで、
わたしたちを、見守っている。

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予期せぬお客さんだったので、
残りものしかありません・・・と、
質素なダルバートだったけれど、
それは、まさしく家庭の味だった。
まず、ごはんの味が違った。
自家製のお米なのだ。
そして、食堂で食べるダルバートとは、
決定的に、何かが違っていた。

子供たちも、それを感じたのか、
つわり状態だったはずの彼らが、
意外にも、しっかりと、
食べていたので、ほっとした。

この家で、しばらく暮らすのだから。
この家のごはんを食べて、暮らすことになるのだから。

このぶんだと、なんとかやっていけそうだ。

私たちには、
レンガ造りの テレビの置いてある部屋があてがわれた。
お父さんのはからいで、
「あーだ、こーだ」と、言いながら、
家の中にある、一番良いものを、
娘さんたちと、集めてくれて、
心地よい寝床を作ってくれた。

感謝。感謝。

お金を介して泊まる、ゲストハウスではなく、
鍵の無い、普通のお家に泊まっている・・・・ということが、
旅の間、知らず知らずのうちに、身についていた、
緊張感を、緩めてくれたのかも知れない。

その夜は、
いつになく、ぐっすり眠れた。
なんとも言えない、安堵感に包まれて。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*チョウダリへのバス3

004

2月13日 つづき

そのあとの、
このやけくそ運転手の、
飛ばすこと、飛ばすこと!!
強引に、次々とバスやトラックを追い越してゆく。
かなり強引に。
乗客係さんは、
昇降口にぶら下がって、
車体をガンガン叩きっ放し、叫びっぱなし。
「おーりゃ、おーりゃ、どきやがれ!」
ってなかんじか。
(この、運転手と乗客係の兄ちゃんとの連携プレーはお見事!)

過去の人生、いろいろなスリルのあるバスに乗りましたが、
このスリルは、最高級!
闇の中、恐らく舗装もされていないだろう、
山の道を、
車体のネジがぜ~~んぶ外れてバラバラになってしまうんじゃないかと思うような、
ものすごい音と振動で、走ってゆく。
上から、荷物が落ちてくる。
そこらへんのものに、
しっかりしがみついて!
振り落とされる~~。
座席ごと、飛び上がるう~~。
「きゃーーーっ!」
「うわ~~~~~っ!!」
神様、仏様、ご先祖様あ~~。

チカッ☆チカッ☆ 車内のライトがついたり消えたり。
スリル好きの風歌が叫ぶ。
「こっ、このバス不気味やなあっっ!!」

不気味かどうかは知らんけど、
子供の目線からすると、
これは冒険映画をじゅうぶん地で行くような旅である。
そうや、これはもう、立派な冒険旅行になってしまっている。

もう、めちゃくちゃや~~。
(3歳児まで連れて冒険旅行するつもりは無かったわ~~。)

しかし、光&太郎くんは、このすざまじいジャンピングバスの中で、
腰を浮かせながら、
力尽き、
うとうとと眠りはじめている。
ああ、いじらしい、幼いわが子よ。
苦労をさせるなあ、、、。

やっと村に着いたのは、
夜中遅くなってから。

長い長い一日だった。
「みんな、ほんまにようがんばったなあ!えらい、えらい!」
色々とあったからこその、
この感動。(闇の中、密かに涙ぐんでしまう。)
大人でもハードなこの道のりを、
ほんとうに、このおチビさんたち、よくがんばってくれた。
ありがとう。
(みんなフラフラや。)

そして、星空の下 とぼとぼと、新しい我が家となる場所、
闇に包まれた、未知なる村の中へ入ってゆくのでありました。

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ネパール子連れ旅思い出し日記*チョウダリへのバス2

005

2月13日 つづき

30分、50分、1時間、1時間半、、、待つ。

「まだア~~?」
「いつ、出発できるん?」
「あと何分?」
「何で行かへんの?」
「いつまでここにいるん?」
「○*%&+@?!!!!」(←キレそうっ。)

子供たちの問いかけに、
納得できるような答えは、何一つも返してやれない。

「ワタシニモ、サッパリ、ワカリマセン。」

そして、またこの問答は繰り返される。

延々と、延々と、待つ。
好奇心いっぱいの、
チャイ屋の男の子たちが、
一緒に遊びたがっているが、
うちの3兄弟はそんな気力もない。

車内も暑いが、外もろくに陰も無く、ホコリっぽい。
どこにいても、ゆっくりできない。

子供たちのことを考えると、私も限界やわ。

2時間近く、、、
のときに、
どうやら、
道が開通したという知らせが入る。

「やったあ!!!!」
子供たち、よくがんばりました!ありがとう!」
長くがんばって待ったからこその、感動がこみ上げる、、。

と、喜んだのもつかの間。

なんと、運転手と、乗客係が行方不明だってエ~~~??
どこかで寝ているのか?
酒でも飲んでいるのか?
そんなあっ。。。。
くっそ~~~~!
見渡す限り、この何もないところで、
どうやって探すのか?
しかも1時間後にまた閉鎖されるという情報も入る。
ああ、絶望的。

イライライライライライライラ・・・・、、、。
<ネパールのバスでは忍耐を学びます。>

さすがに、ネパールの人たちも、いら立っている様子。
1時間近く待って、
2人が堂々とやってきた。
少しも悪びれることもなく、肩をいからせて遅れてきたのだ。
いら立っていたネパールの人たち、
言葉の通じない私たちに代わって、
どんなに怒って文句を言ってくれるのかと思ったら、
そんな風でもなく、
「やれやれ、良かった、良かった。」というかんじで、
穏やかに、にこやかに、出発した。

なんや!
みんな、それでええんか?
こんなに待たされて、
一言や二言、嫌みでも言わへんのか?

わっ、わからんっ!!

発車間際に、
異国の3兄弟に興味しんしんだった、
チャイ屋の兄弟が、「サテイ!サテイ!」(友達!友達!)と、
ちょっとした、お菓子のおまけみたいなものを3つ、
バスの窓から風歌に渡してくれた。
友達だって!
うれしいね。
「バイバーーイ!」
「バイバーイ!」見えなくなるまで手を振り合った。
窓から手渡されたのは、そのおまけだけじゃなくて、
もっと、大切なもの。
ありがとう、サテイ!
こうやって、見知らぬ土地で、見送ってくれる人がいるのは、心温まるね。
ちょっとしたことに、癒されるね。元気づけられるね。

晴れやかな気持ちで再出発だ。

しかし、乗ってすぐに、バスは停車。
おじさんが一人降りた。
ええっ?
おじさん、今、3時間近くも、殺風景なところで待っていたけど、
こんな近所やったら、歩いて帰ったら良かったのに、、。

わっ、わからんっ!!!

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2009年7月 2日 (木)

ネパール子連れ旅思い出し日記*チョウダリへのバス1

2月13日  つづき

結局、
チョウダリ族の村へ行くバスは、15時間もかかった。
夜明け前の星空の下、
ポカラのゲストハウスを出て、
トボトボと歩いていくのから始まった、この長い旅は、
トトロの猫バスのように、
深い深い霧の中、
(前が真っ白で何も見えない!)
ライトをくるくると回転させながら、
(かなりの急カーブの山道だ!)
がなり声をたてて、
進んでいった。

やっぱりこのバスも、
振動で、窓が空いてくる。
18年前の長距離バスと、
全く、変わってないじゃないか。
あちこちから、すきま風と土ぼこりが入ってきて、
とても冷える。
後部に座っている子供たちが、心配。
おまけに、後でわかったんだけど、
バスの床にも大きな穴が空いていて、
光ちゃんの、チャッパル(ぞうり)が、
どこかで落ちてしまっていた。
(このとき、脱いだぞうりは、上の棚に置くべし、、
ということを、私たちは学んだ。)

・・・・光ちゃんのぞうりを失ったのは、
これで、2度目。
一足めは、
象の背中に揺られて、ジャングルへ入ったときに、
いつの間にか、片方が無くなっていた。
今もタライのジャングルのどこかに、ぽつん。
ネパールで一番小さいサイズの
可愛いチャッパル。
もしかしたら、虎か、豹か、お猿か、
クンクンと匂いを嗅いだかも知れないね。
そう思うと、なんだか楽しい。
(このとき、象の背中に乗る時は、
ぞうりを カバンの中へしまっておくべしということを、学んだ。)

チョウダリ族の村へは、
マハバラータ山脈を越え、後は、西へ西へひたすら進む。
延々と進む。
いくつもの、山を越え、バザールを抜け、
村を通り、田園地帯を突っ走り、
水牛の群れをかわし、西へ西へ、、、!
ああ、どんどん遠く、ポカラから離れてゆく。
こんなに遠くまで来てしまって、
帰りは どうなるんだろう・・・。
帰りのことが、早くも心配になる。

あと、2、3時間かというところで、
バスは停車した。
ちょっとしたチャイ屋があり、
バスが、数台停まっている。
また休憩かな。

それにしても長いな。

聞けば、
先の方で、事故があり、道が封鎖されているという。
ここに停まっているバスは、
なんと前日から、封鎖が解除されるのを、待っているという。
いつ、解除されるのか、(何時間後か、何日後かさえ。)
全くわからないという。

そっ、そんなあっ!!
幼い3兄弟、トレッキング帰りの疲れた身体で、
はるかこんなところまで、
やってきたのに、
ここで、足止めか?
目的地までは、あと少しだと聞いているのに。
こんなところで、夜を明かすのか?

冷えるぞ~~。
蚊もいるぞ~~。
食料はどうする?

こんな苦労させるために、子供たちを連れて来たつもりはないよ~~。

*つづく*

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ネパール子連れ旅思い出し日記*出発の朝に。

2月13日

夜中に太郎が吐き、その後始末などで、
まともに寝ていないのだが、
3時半に起きる。
寝不足で、フラフラだが、気合いを入れて・・・。

さあ、今日は、チョウダリの村へ行く日。
まだまだ夢の中の子供たちを、起こし、
仕度をさせる。

星空の下、待ち合わせの場所まで、
それぞれが、荷物を背負い、トボトボと歩く。
5つの影が、伸びている。
あたりは、まだ静まり帰っていて、
私たちの他に、動いているものは 何も無い。

道路の真ん中で、牛が寝ている。

これから、
タライ平原の西、チョウダリ族のある小さな村をめざして、
長い旅が始まる。
京都で紹介してもらった、
カンチュウさんと、パートナーのアンビカの、
里帰りに便乗して、
私たちも、その、遠い遠い田舎の村で、
少しの間、生活できることになった。

今回の旅で、一番困難そうな移動日。
目的地までは、何時間かかるかわからないと言う。
ああ、どんな一日になるんだろう。
無事に、辿りつきますように。

カンチュウさんとアンビカと合流し、
タクシーで バスターミナルまで向かう。

暗がりの中、タクシーは走る。

途中、サリー姿の女の人たちを、
ぎゅうぎゅう詰めに乗せた、トラックを追い越した。
荷台の外側にも、しがみついて、乗っている。
無表情な 女の人たち。
こんな暗いうちから、
冷たい風に 吹きさらしになって、
働きに行かなければならないのか。

寒風に、サリーがたなびいている。

こんな早い時間に、
母親が仕事に出なければならないなんて。
子供たちは、どうしているんだろう。
どんな仕事が待っているんだろう。
いつまで、冷たい風にさらされて行くのだろう。
彼女たちの、境遇を思うと、
胸が痛む。

**

このとき、ハッとした。
もしかしたら、
私が、あのトラックの女の人たちだったかも知れなのだ。
ふと、そう思った。

こちらの世界と、あちらの世界と、
かけ離れているようだけど、
実は、紙一重なのかも知れないと。

どこの世界に、生れ落ちてくるのか、
人の運命なんて、
フワフワと、飛んでゆく 
タンポポの綿毛みたいに、
ちょっとした、風向きで、
どこへ着地して、芽を出すのやら。
どこで生を受けて、生きていくのやら。

気の遠くなるような、確立の中で、
今生の私は、、今このときを、
たまたま、日本人の旅人として、生きていて、
彼女たちは、
冷たい風にさらされて、厳しい労働を強いられている。

**

それとも、遠い遠い昔の、ある時代の、いつかの生で、
私は、彼女たちの共に、
冷たい風に、さらされていたのかも知れない。

**

そんなことを、つらつらと考えている間に、
タクシーは、まだ暗いバスターミナルへ着いた。

これから、長いバスの旅が始まる・・・・。






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ネパール子連れ旅思い出し日記*おまけのNG集?

オーストラリアンキャンプの一家と、記念写真を撮った。

おっと、これは、
バブー(赤ん坊)の、表情がいまいち。
撮りなおし。

ここの人たちにとって、写真は、貴重だから、
ちゃんと、撮ってあげなきゃ!

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セルフタイマーを、ハルフミさんが押して、
走って、中に入る。

あっ、それをバブーが、
目で追ってしまい、
バブーの顔は、横向いたまんまだった。

バブーの視線は、ハルフミさんに釘付け。

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はい、また撮り直し。

行くぞ~~!

パチリ☆

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あ~~~~~っ!
また 失敗!

あかんなあ。

(左端の3歳児2名は、飽きてきた様子。)

よし、今度は、どうかなー??

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太郎くんが、バブーの顔を、
「ほれほれっ!前向け!」と、横から押しておる。

まあ、これでが、一番まともかな~~。

おわり。

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2009年7月 1日 (水)

ネパール子連れ旅思い出し日記*さよならヒマラヤ!

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2月11日つづき

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ひとしきり、ヒマラヤを、のんびり堪能して、
山を下りることにする。

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でも、いつまでも、いつまでも、
眺めていたい気持ち。

眺めても、眺め足りない・・・・・・・。

今度は、いつ見られるだろう。
もっと、もっと、近づいて行ってみたいものだ。
これから先は、どんな世界が広がっているのだろう。
いつの日か。
子供たちが、大きくなったら。

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名残惜しみつつ、
振り返り、振り返りして、
山を下りる。

恋人と、別れるみたいに・・・・。

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車道のあるところまで、そう遠くないはずだが、
最初は、かなり急な下りのコースだった。

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途中、何人かの人たちと、
すれ違った。

その人たちは、この険しい道を、
息をつきながら、無言で、
1歩1歩、登って行った。
みんな、背中に、重たい荷物を背負って。

見覚えのある人たちともすれ違った。
一人は、山小屋にいたおじさん。
背中の荷物は30キロだと言っていた。
こんなところで、再会できたというのに、
笑顔がこわばるほど、
大変そうだった。

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それから、今朝、山小屋の前を、
通りかかっていた、
若いお母さん。
きゃしゃな身体なのに、
彼女も、相当な量の荷物を背負って、
登ってきた。
朝のうちに、買出しのために、
山を下りていたのだろう。

自分の、体力、脚力、精神力と比べたら、
考えられないことである。

重たいだろうに、
ちょっと立ち止まり、
荷物を支えていた片方の手を、下ろし、
ゆっくり身体を傾けて、
光ちゃんの、ほっぺを
きゅっと、つまむ。
「ボク、かわいいねえ!」
というかんじで。
この、一連の動作だけでも、
たいへんそうなのに・・・。
何度か、すれ違ったお母さんが、
こうやって、光ちゃんを可愛がってくれた。
(ネパールのお母さんは、小さな子を見ると、放っておけないのだ。)

こちらは、いつものように、

「ナマステ!」と、挨拶するのも、

ためらってしまうほどだ。
そのくらい、
たいへんそうに、1歩1歩、上っている。
まるで、苦行のよう。

小さな子供を連れているお母さんも 何組か見た。
お母さんが、大きな荷物を背負っているので、
子供は、自分で歩きとおさなければならない。
両手で、荷物を支えているから、
手をつなぐことすら、難しい。
ぐずりながら、上っている子もいたが、
どうすることもできない。
光ちゃんぐらいの子が、
この険しい山を、母親について、
往復しているのだ。

同じ、母ちゃんとして、
こういう状況が、どんなに辛いか、
痛いほどわかる。

しかし、この人たちは、山で生活する以上、
自力で穀物や、生活必需品を、運ぶしかないのだろう。

食料や、生活必需品どころか、
家を建てるときの、石、一つ一つも、
鉄管や、材木なども、
人力か、もしかしたら、ラバが運んで来たのだ。
想像すると、気が遠くなる。

子供たちも、泣いても、怒っても、辛くても、
誰も、抱っこなんかしてくれない。
幼い頃から、自分の足で、下りて、上って、
そうやって、強くなってゆくのだろう。

ここの人たちは、
山で暮らすことを、うらめしく思いながら、下りて行くのか、
それとも、
当たり前のように、
特別な感情も持たずに、普通に下りて行ってるのか・・・・・。

山は厳しいなあ。

美味しい水も、美味しい空気も、
ヒマラヤの最高の眺めもあるけれど・・・・。

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というわけで、
ヒマラヤと同じくらい 
親子ともども、心を動かされたのは、
こういった、山を登る人たちの姿だった。

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山に暮らす人たちと、
そして、忘れられないのは、
トレッカーたちを、支える、
ポーターの人たちの、働きぶり。

人間の能力というものは、はかりしれないということを、
見せ付けられた。
そして、その能力を発揮している姿は、
とても美しく、芸術的でさえあるということも。

**

ところで、うれしいことに、

今日は、初めて、光ちゃんが、歩ききった!

パチパチパチパチ!!

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山を下り、お家に帰るのだ・・・・・という雰囲気が、
歩く気を起こしたのかしら。

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でも、光ちゃん、
お家に帰るんじゃあなくて、
ポカラのドオモさんとこに、帰るんだよね。
まだまだ、旅は続くのだよ。

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車道まで、辿りついたら、
一丁前に、
ネパール式に、手を上げ、
バスを止めようとしている、
たくましい、3兄弟の姿があった。

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みんな、元気になったな。

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さあ、ポカラに着いたら、
みんなが、夢にまでみた、
日本食のレストランで 打ち上げしようぜ!

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ネパール子連れ旅思い出し日記*おくりもの・2

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2月11日 つづき

雲が、むこう側へ、
勢い良く 吸い込まれるように、
どんどんと流れてゆき、
雨が止んだ!
そして、
ここへ来て、一度も姿を現さなかったヒマラヤが、
姿を現しはじめた。

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それも、目の高さと同じところに!
すごい!!
やったあ!!

子供たち、外へ躍り出て、跳ねて、
喜び合う!

やった!
やった!

そら走れ!走れ!走れ!走れ!
べちょべちょの土の上。
馬の背のような尾根を走り、
岬のように突き出したところの、
先端まで、
声を上げながら辿りつく。

雲の切れ間から、
荘厳なヒマラヤが、姿を現している。

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すごい!
すごい!

子供たちが、興奮している。
飛行機に乗ったときよりも、
象に乗ったときよりも、
ワニを見たときよりも、
喜び、駆け回っている。
笑顔が、はちきれている。

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ただ、そこにあるだけの、白く輝く山々が、
こんなにも、この子たちの気持ちを 躍らせるものなのか。

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土ぼこりを被っていた、木々や草花たちは、
すっかり、嵐で、浄化されて、
すべてが、生まれ変わったように、
つややかに、光輝いている。

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木々の葉っぱや、
草花が、雫を滴らせ、潤っている。
私の身体まで、
みずみずしく、潤ってくるようだ。
ああ、最高の気分。

空も雲も、よりクリアになり、
空気もすがすがしい。

なにもかもが、完璧だ。

昨晩、「この旅を続けてゆく意味があるのかどうか」
なんて、考えていたが、
答えは、ここにあるじゃない!

子供たちの、ピカピカの笑顔。
この大自然の奇跡のようなドラマに、感動する姿。
飛び回り、駆け回って 喜ぶ姿。

こんな おチビさんたち、
ほんとうに よくがんばったなあ!
あんたら、すごいよ。

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私の手のひらに、何かがコトリと落ちてくる。
かけがえのない、宝石のような何か。
神様からの、贈り物。
みんなの中にも、コトリと落ちてきたはず。

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ああ、良かった!
ネパールに来て!
私たちは、なんて尊い経験をしているのだろう。
人生って最高!

つづく。

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