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2009年7月20日 (月)

ネパール子連れ旅思い出し日記*フリーチベット!

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旅の始め。
ボーダナートにて。
屋上の眺めが抜群の、チベタンレストランで
ごはんを食べる。
スタッフのお兄ちゃんはチベット人。
ヒマラヤを越えてやってきて、
ご両親は、チベットで暮らしている。
自分は、インドのダラムサラの学校を出て、
現在はここで働いているという。
ヒマラヤを越えたことも、
親と一緒に暮らせないことも、
当たり前のように、
さらりと言う。

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その後、
たまたまベンチで隣に座ってきたお姉さん、
「ヒマラヤを越えて来たのよ。
 あの、ヒマラヤよ。わかる?
 たいへんだったよ。」
と、話してくれる。
ご両親はやはりチベットで。
ずっと会ってないという。
さらりと言う。

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しかし、さらりと言われた私は、
胸が傷む。
何て返せばいいのだろう。

命懸けのヒマラヤ越えも、両親と離れ離れだということも、

まだテイーンエイジャーの彼らにとって、

どんなに辛く、厳しい現実かと思うが、

この、ふっきれたような明るさは、何だろう。

なぜ、こんなに強く、生きられるのだろう。

「私達日本人、、、私の友達たち、
 みんな、チベットのことを思ってるよ。
 日本では、
 北京オリンピックのときに、
 大きなデモもありました。
 今、たくさんの日本の若者が、
 チベットの自由と平和を願っているんだよ。
 本当に、心から願っているよ。私も。」

と、心をこめて、言う。

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「そう、私も、日本であったそのデモのことは知っている。
 ああ、わたしは、チベットに住んでいる時に通っていた、
 中国人の学校では、
 戦争で日本人は中国人をいっぱい殺してひどいことをしたのだということを、
 毎日聞かされていたよ。毎日!
 でもね。
 ○○さんという日本人の友達ができて、
 彼は、それは嘘だと言っていたから、
 今はそれを信じているの。」

 ええっ?そうなんや。毎日聞かされていたなんて。
 でも、日本が中国に ひどい事をしたのは、本当のこと。
 だから、○○さんが、嘘だと言い切るのは、
 どういう根拠があるのかわからないが、
 私のつたない英語では、そのことをうまく説明できなかった。

ああ、チベット!
毎年、どれだけの子供たちが、
あのヒマラヤを越えて、やってくるのだろう。

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**    **      **

旅の終わり。
知り合いのつてで、
チベットの子供たちの孤児院を創立したという、
日本人の女性Cさんに会った。
きっとチベットの民族衣装に身を包み、

チベット人にすっかり同化されているのではと、思っていたが、

全然。
すらりとしたジーパン姿の美人でした!
チベットに惹かれ、
チベットのお坊さんと結婚して、子供さんもいるが、
なんと、その彼は今、8年間の瞑想の修行中だとか。
チベットの道無き山を馬で3日もかかる山のお寺の、洞窟で。
残りあと6年だって。
(しかも、連絡のしようも無いので生きているかどうかさえお互いわからない。)

ひえ~~~っ。
すごい境地やなあ。
夫が、家庭を置いて、山の中で、8年間も修行中なんて、
私には考えられない。
人間の器の大きさが、違うのか。
精神のレベルが、全然違うのか。

Cさんは、
カイラス山脈で暮らしていた、
孤児や極貧の子供を呼び寄せて、
安心して暮らせるホームを建てられた。

http://www.tcp-np.com/index.html

わたしたちがホームを訪ねると、

丸坊主の(シラミ対策。)、太郎くんと光ちゃんの間くらいのちびっこが、
10人くらい、
わらわらと集まってきた。
わたしたちじゃなくて、
このホームのお母さん役の、Cさんのもとに。
それぞれ、
「待ってたよう。」
「どこに行ってたんだよう。」
「あのねえ、今日ねえ。。。」
と、言う感じで、一斉におしゃべりが始まってる。
その光景をみるだけで、
なんだか、泣けてしまった。
子供たちの全身から、Cさんが大好きなのだということが、
伝わってくる。
Cさんは、笑顔でその一人一人に、応えている。

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はるか彼方の、カイラス山脈。
聞けば、この子たちの住まいは、
石を積み上げ、草で葺いただけの小屋で、
布団さえも無いという。
子供たちは、老人のような手をして、
家の仕事をしていたそうだ。

このホームへ来て、
家や親が恋しくなって泣く子は一人もいないというから驚く。

美味しい食べ物と、
きれいな服と、
温かい布団があるから、ここが好き。
感謝。感謝。

と言うんだって。
太郎くんより、小さなこの子たちが。

ひもじくて、寒くて、疲れて、どうしようもなくなると、
お母さんと一緒にいるよりも、
ただただ、食べるものと、温かい寝床を求めるようになるのか。
生きるために。
それほどにまで、
辛かったのか。
追いつめられていたのか。

(どんな状況でも、幼い子供は母親を求めるものだと思っていた私は甘かったか。)

想像を絶する。

「子供たちは、死んだら生まれ変わるということも知っています。
 死んでも終わりではないと知っています。
 そして、人はみな死ぬのだということも知っています。
 それは、明日かも知れないし、もっと先かも知れない。
 だからこそ、今日に感謝して生きています。」

とCさん。
チベット仏教の教えが、
生まれる前からしみついているこの幼い子たちは、
そうやって、
いつも「感謝。」「感謝。」と言うのだって。
ネパールの孤児院の子供たちが、年頃になってグレてしまうケースが多いらしいが、
チベタンの子供たちは、
このチベット仏教の教えが、
すべての根っこにあるので、まっすぐに育ってくれるのだとも。
(なかには、例外はあろうが。)

へえーー。

仏教の教えがあるからこそ、
山の暮らしの厳しさや貧しさ、
命がけの山越え、
チベットのおかれた理不尽な境遇にも耐えられるというわけか。


このホームとは別に、Cさんは、
トレーニングセンターの設立の準備もすすめている。
それは、大きくなった子供たちが、
社会で自立して働けるようなスキルを身につけるための、
職業訓練校のようなものだと思う。

このホームから見えるところには、
チベット亡命政府があった。
命からがらヒマラヤを越えたチベット人たちは、
まずここを目指すそうだ。
その後インドのダラムサラにある、ダライラマが建てた学校へ行くことになるらしい。
ここにも、
ダライラマが建てた、
とても立派な宿舎と学校があった。

亡命してきたチベット人たちにとって、ネパールは、
ダライラマのいるインドよりも、
気候的、人間の気質的にも住みやすく、
また戻ってくる人も多いと聞いた。

その証拠に、
幟(のぼり)や、タルチョ(お経が書かれた旗)の、飾られた家が、
カトマンドウでも、ポカラでも、
あちこち、ほんとうに、そこらじゅうに、、、見られる。
これを、受け入れている、ネパール人の寛容さも、すごいなあと思ったのだが、
実際には、ネパールは、中国に依存している国であり、
ネパール警察は、チベットの人の宗教的な活動を、
厳しく規制していると言う。

Cさん。
点滴を打ちながらも、チベットの子供たちのために奔走しておられる。
私と同じ年だけど、

全く異なる人生を歩いている2人が、
ここで会った縁を感じる。
チベットの、
あの薄い、薄い空気。
澄み渡った空気。
その空気にまるごと身体が触れた瞬間に、
彼女の人生は変わっていった。
(そういうふうに言っておられた。)
私はチベットへ行ったことがないし、
その、空気が薄い世界、どこまでも空が蒼い世界は、経験してみないとわからない。
どんな感覚なのだろう?
人生をすっかり変えてしまうほどの、強烈な感覚とは。

トレッキングで間近にみたあのヒマラヤの山々のむこうには、
どんな世界が広がっているのだろう。
私の心を惹き付けてやまない、ヒマラヤ。山岳民族の暮らし、、、。

「では、是非、次はチベットへ行ってみてください。」
、、、と、言われたが、、。
(あんな、過酷そうなところ、自信が無い。)

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