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2014年1月16日 (木)

命のはなしです。

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Life is very short

and theres no time for fussing and fighting, my friend.

人生は、とっても短いものさ。

くだらないことで、

ケンカしてるような暇は無いんだよ。

              Beatles We Can Work It Out より。

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最近、

うちでよくかかってる歌ですが、

life is very short

ここんとこだけ、やたらと耳に飛び込んできます。

(ここだけ意味がわかる?(*^m^)。)

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人生なんて、短いもんよ。

生まれた瞬間からもう、

命のカウントダウンは、

始まってるんやもん。

今、この瞬間だって。

生まれたばかりの赤ん坊も、

100歳のおばあさんも、

同じように、

いつかわからない、

そのときまでの、

カウントダウンは続いています。

そんなこと、

普通は、気にしてないけどさ。

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すくいとった砂が、

指の間からサラサラと、

こぼれてしまうみたいに、

誰にも、

それは、止められない。

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ええっと・・・・・・、

ある人が、

余命宣告を受けたのです。

「サクラの花が見られるかどうか・・・・・」と、

お医者さんから言われたのです。

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みんな、みんな、

暖かい春が来て、

サクラが咲くのをとっても楽しみにしているというのに、

そんな宣告を受けたのです。

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元旦の日に、

それを知って、

あの人に会いに行ってから、

ともかく、

サクラが咲く頃まで、

わたしも、

あの人と一緒に、

いちにち、いちにち、生きてみようと思いました。

いちにち、

いちにちを、大切に味わって暮らしてみよう。

あの人と歩調を合わせるつもりで、

一歩一歩を慈しんで、

しっかりと踏みしめながら、

生きてみよう。

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そして、

命の火が消え入りそうな人が

身近にいるとき、

わたしは何ができるだろうかと思いました。

その人が、

少しでも、楽になるように。

心地よく感じるように。

にっこりとできるように。

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寝たきりだったら、

温かい手で、

そっと、そっと、身体をなでてあげたい。

(手足を揉んだりするのは、痛いかも知れない。)

身体のあちこちに、

そっと手を当ててあげたい。

やさしく、光を当てるみたいに・・・・。

やわらかい湯たんぽを、足元にそっと置いてみようか。

食欲が無いのなら、

すりおろししたリンゴとか、葛練りとかどうだろう。

食べられないのなら、

良い香りで部屋を満たすのはどうだろう。

声が出ないのなら、

美しい音楽を静かにかけるのはどうだろう。

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なんて、

思い巡らすのだけど、

遠くに住んでいるので、

それは、

叶わないのです。

だから、

気持ちだけでも、

寄り添わせてもらいたい。

そう、

思いました。

朝がきて、

目が覚めると思います。

「ああ、

あの人も、気持ちよく朝が迎えられたかな。」

 

 

夜がきて、

寝るときも、

「あの人が、心地よくゆっくり休めますように。」

 

今日もいちにち、

ご家族のやさしさに包まれて、

笑顔でありますように。

心安らぐお話ができますように。

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人の命について、

気がつけば、あれこれと、考えてしまう日々です。

そんなとき、

もう20年以上昔?に読んだ本

リチャードバックの「イリュージョン」にあった言葉が、

思い浮かびました。

毛虫が終末を思うその形態。

救世主はそれを「蝶と」名づけた。

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毛虫がサナギに変わるとき、

毛虫は、

自分が死んだと思うのかな?

でも、

違う。

確かに、毛虫としての一生は終わったのかも知れないけれど、

命が終わったのではない。

姿が変わっただけ。

しばらく眠った後には、

蝶としての命が誕生するのです。

命は、終わらない。

ずっとつづいてゆくもの。

そういうふうに、

わたしは、解釈しました。

(そんなこと、傍で見ていたら、

わかることだけど、

毛虫当人には、わからないのかも知れません。)

もしかしたら、

死ぬというのは、

そんなものかも知れません。

こちらの世界では

「死ぬ」って言ってるけど、

あっちの世界では、

「誕生」ってなっているのかも。

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古代ギリシャの哲学者のプラトンさんは、

もっとシンプルに言うてます。

死とはここからあそこへの移動ほかならない。

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昔、インド人の友達ゴータマさんも、

なかなか哲学的なこと言うてました。

「生きるとか死ぬというのはなあ、

自分で作った門をくぐって、あっちに行くようなもんや。

どんなゴージャスな門でも、

凝った装飾のある門でも、

くぐってしもたら、それだけのこと。」

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「わけのわからんこと書いてはるなあ~」

「いったい何が言いたいんやろ」

と、

思わはったかもわかりませんが、

実は、わたしも読んでみて、

ようわからん記事やなーと思ってますcoldsweats01

はい。すみません。

ただ、

わたしは、

お産・・・・つまり、人の命の誕生を4回ほど

身体をはって、経験してみて、

それから、

身近な人の死を何度か経験してみて、

命の誕生と死と、

対極にあるけれど、

何か、似ているとことも感じるのです。

それについて、

またいつかの機会に、書いてみようかなと思っています。

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そして、

S姉ちゃん、

NYから息子さん帰って来はったかな。

間に合って、ほんとうに良かった。

明日も、ますます幸せな時間を生きられますように。

そして、

S姉ちゃん、

今、わたしは、

とても大切なこと・・・・、

きっと、何よりも大切なこと、

学んでいます。

ありがとうございます。

美しい満月の夜に。

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コメント

私の相方は癌でした

「ケンカしてるような暇は無いんだよ」
実際には1日1ケンカ(`ε´)

遠慮して何も言わない私に
「話さなきゃわからない!」とふっかけてくることが多かったかも…
もっと優しくしたかったなぁと今更思ったり…

門の話は残された者にも当てはまるよね
存在があった世界から、いない世界へ門をくぐってしまった(むりやり~)

あの世があるのかわかんないけど(スピリチュアル的な経験は一切ないのですW)
会いにきてほしいなぁと思いにふけってます
(来てるならわかるように合言葉が必要だったWだって本当に霊的なのわかんな~い)

とてもモテ男だったので、過去のお姉さんとかが葬儀で大泣きしてました(≧ヘ≦)
遠くから泊りがけで葬儀に泣きにくるなら、生きてるうちに笑いに来てくれればよかったのに…
「葬儀にはいきます」とこだわってたけど、葬儀ってそんなに大切なのかな?
(なんだか話が妙な方向にW)

でも死んでしまったら何も伝えられないもんね
愛してるやありがとうは生きてるうちに伝えたいのですよ

投稿: かよ | 2014年1月17日 (金) 06時29分

かよさん>ここで、大切なこと、プライベートなこと、シェアしてくださってありがとう。「遠くから泊りがけで葬儀に泣きにくるなら、生きてるうちに笑いに来てくれればよかったのに…」ほんと、そうですね。心に響きました。生きてるうちに、出し惜しみせず、どんどん伝えていきたいです。身近な人が逝ってしまったときから、別の自分になったような、不思議な感覚ではないですか。今までと違う時間が流れているような・・・・。でも、その違和感のあるこの時間が、現実というもの。わたしは、今思えば・・・だけど、身近な人を失うたびに、ほんとに成長させてもらいました。生きていく上で、誕生も死も、どちらも避けられない。かよさんが少しずつでも、癒しの道を歩いてゆけますように。

投稿: yumie | 2014年1月17日 (金) 14時35分

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