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2015年2月の8件の記事

2015年2月24日 (火)

ヒマな話・続きの続き

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ヒマな話・続き という記事を書いたら、

またまた、
はるやの遊び友だちの、
うまこさんがコメントをくれました。
「イスラムの教えでは、
そんなヒマな時間を、
ラーハと言って大切にしているよ。
忙しい合間のラーハではなく、
ラーハがメイン。
故片倉もとこさんが、
ラーハを、
「ゆとろぎ」って訳してはる。
「ゆとり」と、「くつろぎ」から、
「理屈(り・く・つ)」を、
抜いた言葉。」
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「ラーハ」
「ゆとろぎ」
どちらの言葉も、
なんだかゆったりとして、
心地よい響きだなあと思いました。
すっと、
心の中に入ってきました。
またうまこさんに、
いいこと教えてもらったなあ。(* ̄ー ̄*)
興味が湧いて、
片倉もとこさんの著書について、
検索してみました。
これがまた、
とても素敵だったので、
ここで紹介します。
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著者からのメッセージより。
日本では、
何かを成し遂げたあとに、
ごほうびのように、
あたえられるのが、ゆとりで、
それは物質的ゆとりであることが多いようです。
それをめざして一生懸命働いたから、
ちょっとくつろぎましょう、
という具合に、
「くつろぎ」も、
「ゆとり」も、
仕事のあとにくるもののようです。
しかしこの世界では
「ゆとり」も「くつろぎ」も人生のなかで、
まず大事にされるべきものと考えられます。
「ゆとり」の時間をもつために、仕事もする、
が、
仕事自体がラーハになればそれにこしたことはない。
ラーハには、
「学ぶこと」
「ねむること」
「瞑想すること」
「旅をすること」
など、
いろいろなものがふくまれます。
わくわくいきいきと行きていることが
ラーハといいます。
労働のあとに許されるごほうびとしてではなく、
人生でないよりも先に大事にされるラーハを、わたしは、
「ゆとり」と「くつろぎ」をたして、
「りくつ(理屈)」をひいた言葉
「ゆとろぎ」にしてみました。
「理屈抜きに、いつくしむ生」という意味あいをこめて。
そんな悠長なことを大事にしていては、
競争に負ける、
進歩はない、
という人は大勢います。
「がんばれ、がんばれ、負けるな、負けるな、
早く、早く」の掛け声が、
大きな波のように、
うちよせてきます。
そう言われると、
わたしもちょっと不安になったりもするのですが、
人生は勝ち負けではない。
勝ち組に入るか、
負け組になるか、
そんなことで、
一回きりしかない人生をやりすごしてしまうのは、
もったいない。
世界中を席巻している
「いけいけ、どんどん」の潮流の中で、
「ゆうっくり、ゆうっくり」という掛け声を、
おだやかにかけあいながら、
人生を愉快に味わっている人たちもいます。
そういう人たちのくりひろげる世界、
もうひとつの文明世界を、
「ゆうーっくり、しずかあーに」
散策してみませんか。
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片倉もとこさんは、
「疲れたからやすむ」とか
「休んで元気をとりもどす」
とかいうような、
ちゃちなやすみではなく、
「やすむ元気」をもつ。
「元気だからやすむ。」
ことを、
言っておられます。
ほ〜う。
なるほどなあと思いました。
今の日本だったら、
ほんと、
忙しくしていることが上等で、偉くて、
ヒマにしていたら、
怠けてて悪いことみたいなかんじですけど・・・。
「なにかをすることが、
生産的で、
好ましい生き方だと
思いこまされてしまったところがあります。」
片倉もとこ「やすむ元気もたない勇気」より。
ほんとねー、
「思い込まされてしまった」なーと思うのです。
誰にって?
両親にかな。
学校でかな。
仕事場でかな。
世間にかな。
それとも、
勝手に思い込んでいたのかな・・・。
だけど、
わたしは、
これからは、
元気に堂々とヒマして、
のびのび豊かな人生、
そういうのが、
最高だな!と思います。
↓セカオワのfukase風に涙付けてます。
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元気にヒマして休んでいるとき、
つまり
ラーハ=ゆとろぎ とは、
例えばどんなことか、
片倉もとこさんが、
別著で挙げておられました。
これらは、
イスラーム社会では、
ラーハとして、
すべて同じ価値をもつのだそうですよ。
そして、
すべて、
人生の中で何よりも大切にされるべきことのようです。
学ぶこと。
寝ること、ごろんとすること。
ぼんやりすること。
瞑想にふけること
家族、友人たちとともにいること
仲間たちとおしゃべりすること
お客をもてなすこと
神に祈りをささげること
旅に出ること
死ぬこと。神にめされること
詩歌、物語をつくって、声に出すこと
香りを楽しむこと
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すばらしいですねー。
こんなことでいっぱい彩られた人生、
思い浮かべるだけで、幸せな気持ちになります。
それにしても、
ぼんやりしたり、
ごろごろしたりするのと、
学ぶこと。
それから死までも・・・。
これらが、
同じ価値を持つものとされているんですねー。
すごいなー。
最近長男が、
期末テストだということで、
勉強に燃えてたんですが、
その向かいでは、
三男がこたつに首まで入って、
ずーっと漫画読んでました。
次男は、ずーっと歌うたってました。
この3人、
みんな同じくらい価値のあること、
してはったんですねー。
(無理がある?)
ま、
うちは何を楽しんでいても、
おおむねオッケー。
もともと、
ラーハ色の強い家庭ではありますけど。coldsweats01
Img_5644
でも、
もし、
何もせずぼーっとしていること、
ゴロゴロしていること、
ええっと、
そうやなあ・・・、
音楽ばっかり聴いてたり、
ギターばっかり弾いてるとか、
寅さんのように、あっちこっちと旅してるとか・・・、
そんなふうな、
一見、非生産的に見える?ような、ことばっかりの時間を生きている、
子どもたち、大人たち・・が、
イスラームの社会のように、
「あ、今あの人、ラーハな時を過ごしてるんだな」
「豊かな時間を過ごしてるんだな」と、
認められるなら、
「あ、あなたはそれがいいのね〜」と、
なんとなく受け入れられていて、
否定されないのなら、
もっと、
日本も、心地よく生きられる国になるやろなと思います。
自ら命を絶ってしまう人も減るのではないかなあ・・・・。
周りが否定しない、認めるというのも大事ですが、
まずは、
自分が、
そんなありのままの自分を、
否定しない。認められる・・・と、いいですね。
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ラーハについて、
知っていくうちに、
わたしは、
長男の選択について思い起こしました。
最近また、
あの人、
「思うところあって書いてみた」
そうです。
中学を卒業して高校に行かない選択をした自分の、
今の心境みたいなものを、
みずから作文に書いてました。
読ませてもらいました。
それがねー、
まさしく、
ピタリと、
ラーハ的な、考えだったのです。
ラーハに育ってます。(*^m^)
誰に諭されることもなく、
みずから、こんな答えを出せる長男を、
尊敬してしまいます。
新しい時代の人やなあと思います。
その作文、
とてもよく書けていました。
またブログに載せさせてもらおっかなー。
どうしよっかなーと思っています。
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それとね、
わたしは、
イスラームのこと、
何も知らなかったなーと思いました。
もっと厳しーーい、
過激なイメージ抱いていました。
むかし、
モロッコを旅したときに、
たいへん過激な印象だったので(^-^;。
でも、
片倉もとこさんの本を読んで、
思い返すと、
たしかに、ラーハの時間、ゆとろぎの時間、
モロッコにもありました。
そんな温かい人たちも、おられました。
「知ること」は、大事だなと思いました。
イスラームの社会には、
わたしたちが、
のんびり豊かに人生を旅してゆくヒントがいっぱいありそうです。
(大昔には日本にもあった生き方なのでしょうけど。)
うまこさん、
いいこと教えてくれて、ありがとう。
そんなうまこさんこそ、
ラーハな時間、
ゆとろぎの時間・・・を、
謳歌して生きてますねー!
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2015年2月19日 (木)

村屋さんでお話会、定員いっぱいとなりました。

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今日は、
旧暦ではお正月ですね。
おめでとうございます。
そして、
二十四節気では、
雨水とあります。
「雪から雨に変わり、
雪が解け始めるころ。
草木が芽生え、
農耕の準備をするころ。
春一番が吹き、
うぐいすが鳴き始めるころ。」
と、
ありますが、
今日も、
お山では、
雪が吹き荒れていました(。>0<。)。
さて、
昨日ご案内しました、
「村屋さんでお話会」、
おかげさまで、
早々と定員いっぱいとなったそうです。
ありがとうございました。
参加してくださるみなさま。
楽しみにお待ちしています。
「ええーーーっ!
参加したかったのにー、
もうあかんのかいな〜〜(ρ_;)!」
って方、
残念でしたー。
また、いつかの機会に、
お会いしましょう。
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2015年2月18日 (水)

村屋さんでお話会します。

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新春第一弾の、
お話会のお知らせです。
京都のともだちが、
企画してくれました。
なんと、
会場となるのは、
だいぶん前に、
紹介しました、
過激?芸術的?ふしぎ〜〜?な、
おもしろそう〜〜な食堂、
村屋さんですw(゚o゚)w。
(パドマさんではありません。お間違えのないよう。)
向かいはフランク菜っ葉さん。
左京区でも、たいへん濃ゆい場所です。
ご案内を、
コピペしときます。
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3・17(火)はるやのゆみえさんのお話会@村屋のお知らせ

「はるや日記」で

ご存知、ファンの方も沢山おられると思います~!!!

はるやのゆみえさんのお話会を村屋で開催します♪

是非この機会にいつもニコニコ、お着もの姿が素敵&

お母さんとして女性として人間として尊敬する

ゆみえさんのお話、是非是非♡

~ゆみえさん~

1966年山口県生まれ。

ビーガン料理のケータリング等のお店

「はるや」を家業としつつ、山奥の限界集落で

大工さんに手伝って貰いながら、

家族で自宅を建設、完成!

3歳~15歳の子供達と共に経験した、お産や

ホームスクーリング、等を通して気づいたこと

面白かった事、そして山奥暮らし、旅暮らし、着物暮らし

の,あれこれをブログ『はるや日記』http://haruyanahibi.cocolog-nifty.com/で綴っています

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3月17日火曜日

10時半~お話

お昼頃~ランチ

ベジランチ&プチおやつ付き 1700円 要予約

(定員になり次第、募集を締め切らして頂きます

ご了承くださいませ)

 

FB高尾美香のメーッセージor電話09085295769

に、お名前、ご連絡先、お子様連れか?

お子様のランチ、要か不要か?

(お子様ランチ300円でご用意できます。)

をお願いいたします。

託児という形はとっておらず、基本、

保護者の方がお子様を見ていただくことになりますが

少し離れたスペースでおもちゃ等を用意してスタッフが

みれるようにしようと思っております。

が、きっと、

お子様も多く賑やかなお話会になると思いますが、

どうぞ、よろしくお願いします!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、コピペ終わり。

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さて、

ブログで、

「する」よりも、「しない」でいてみることが、

幸せ、豊かさ・・につながるんじゃないか?

みたいなこと書きました。

そう言えば、

この頃はお話会も、

資料やら、写真やらの小道具を持たず、

お話のリナリオみたいなのも前もって考えず、

身ひとつ、まっさらな気分で、

楽しみに出向いています。

そのとき参加してくださったみなさんの顔ぶれや、

思い、雰囲気を感じながら、聞きながら、

わたしの中でピンっと閃いたものを、

お話しています。

そのようなスタイルが、自分では、

「いいかんじやな〜」と思ってます。(*^m^)

自分で話しながら、

「ああ、そういうことか!」と、

意外な発見があったり、

思わぬ展開になったりして、

おもしろいです。

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年度替わりの時期で、

学校のことやら、

いろいろと考えこんでしまうお母さんも

多いんじゃないかと思いますが、

まあ、まあ、そんな深刻にならないで、

わたしと一緒に、

あははと笑って、

ゆったりゆるんで、くつろいで、

温泉にでも入ってるみたいな、

ほっこりした時間、過ごしましょう。

お待ちしてまーす。

勇気を持って、

あの、村屋さんののれん、

くぐってきてくださいね!(*^m^)

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2015年2月17日 (火)

ヒマな話・続き

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ヒマな話 という記事に、
はるやの遊び友達、うまこさん が、
こんなコメントをしてくれました。
「長い閑(ながいヒマ)と書いて、
長閑(のどか)。
長閑(のどか)を、
英語で、
peacefulと言う。
peace+full 平和がいっぱい。
みんなヒマになればいいのに。」
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さすが、うまこさん、ええコメントくれるなー。
長閑(のどか)とは、
静かで落ち着いてのんびりしてて、
ゆったりと、くつろいで、
おだやかで、晴れ晴れとして、
気長にかまえていて、
のんきであること・・・、
そんな言葉を、
並べていくだけで、
なんだか心地よ〜くなりますが、
まあ、そのような意味があるようです。
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長くヒマして、
のどかでいて、
平和で満たされて・・・。
良いですね〜。
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「子どもは、
ヒマにさせといたらいい」
みたいなこと、
わたし言いました。
でも、
大人にとっても、
ヒマは大事やなと思います。
ところが、
ヒマにしとこうと思ったらできるのに、
ヒマにできんことないのに、
わざわざ
忙しくしてるような人いますね。
わたしも、
ヒマにしとくのが、
悪いみたいに感じることもありました。
ヒマにしとくぐらいやったら、
クッキーちょっとでもたくさん仕込んでおこう!
とか、
ちょっとでもたくさん出店しよう!
・・・みたいな、
「貧乏ヒマ無し」状態にしておくと、
なんとなく安心というか、
良いことのように、
思ってた頃がありました。
ヒマにしとくことに、
勝手に罪悪感を感じてたのです。
逆に、
忙しくしとくことが、
良いこと・・というか、
人並みというか・・・、
そんなふうに思っていたかも知れません。
はたから見ても、
「あの人、ようがんばってるなー」と、
思われたかったのかな。
よお〜く思い出すと、
中間テストとか期末テストとか、
受験とか、
そういうもんが、人生に登場した中学生くらいから、
なんとなく、
ヒマにしてて、
ぐうたらと過ごすことに、
罪悪感を感じでたように思います。
いえ、
別に勉強に励んでいたわけではなく、
実際はぐーたらと過ごしてはいたんですけどね。
何かもっと、
今するべき大切なことがあるじゃないかと、
自分で自分を脅しているみたいな・・・。
なにかしとかなきゃ!って、
せかされてるみたいに勝手に感じていたのです。
何でかなあ?(そんな、うるさい親ではなかったのに・・・。)
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辻信一さんの、
「しないこと」リストのすすめ
という本に、
ベトナムの禅僧テイク・ナット・ハン師の言葉が、
引用されていました。
私たちは
何もしないでいると
時間を無駄にしているような気持ちになりますが、
それは違います。
あなたの時間は、
何よりもあなたが存在するための時間です。
あなたが
生き生きとして安らぎ、
やさしさや
喜びに満ち、
やさしくあるための時間です。
「ブッダの幸せの瞑想」
テイクナットハンさんは、
人々に「レイジーデイ(怠ける日)」をもうけるように説きます。
その日には、
何も予定に入れず、
ゆっくりと、
時間を気にしないで、
自然にまかせて過ごすのです。
・・・・・・・・・・・・・・・「しないことリスト」のすすめより。

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意識して、

そんな日、

つくったらいいですね。

(うちは、

そんな日を過ごすのに、

もってこいの場所やなあと思います。←何も無いとこやし。)

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「するべきこと」

「しなければならないこと」

そんなことばっかりで、

暮らしの中を隙間無く「すること」で埋め尽くして、

無駄の無いように、

「もっと」「もっと」多く、より速く、

「できるように」、

自分のため、

家族のため、

社会のため、

国のため、

工夫して、がんばっておられる方もいるだろうけど、

辻信一さんは、

今、さまざまな領域の中で「何をするかより、何をしないか」という発想の中に、

「人生をよりよく幸せなものとするための、

重大なヒントがある。

そればかりではない。

ぼくたちが生きているこの社会を、

もっとすてきな場所にするための手がかりが、

そこにはきっとある、」

と、述べておられます。

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なるほどなあと思いました。

例えば、

わたしの身の周りのことで言うと、

子供は、

「育てる」ものではなくて、

「育つ」もの。

「教える」ものではなくて、

「自分で学んでいく」もの。

お産は、

切ったり、開かせたりして(*^m^)、

「産ませる」ものではなくて、

ひたすら心地よく、気長に待って、

「自然に産まれる」もの。

野菜は、

耕したり、肥料与えたりして、

「大きく育てる」ものではなくて、

耕さない、与えない・・・、

でも、そのうちに、

「自然に大きくなる」もの。(自然農がまさしくそうですね。)

病気は、

注射を打ったり、薬を飲んだりして、

「治す」ものではなくて、

「治る」ものという捉え方かた始まる、代替医療。

本来、命というもんは、

何もしないでも、なんとかなるもんや、

時間がかかるかも知れないけれど、

自然に良い方向へ向かっていく力があるもんや、

ということを思い出した上で、

子供のこととか、

病気のこととかと、

つき合っていったら、いいかもねーー。

(今の世の中は、

なんでもかんでも「やり過ぎ」ですね。)

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子どもにたいして、

「すること」「してやること」減らして、

ちょっと足りないくらいにしてる方が、

もともと潜んでいた力が、

引き出されて、ぱあっと花開くものかも知れません。

お産にたいしても、まったく同じ。

わたしは、

まさに、

安全なお産のために必要とされている、

「すること」「すべきこと」全部省いて、

「しないこと」ばっかりのお産して、

眠っていたものすごい女子力?発揮して、

見事なお産できました!

(こればっかりは、自画自賛できる。(*^m^)

子どもたちも、

見事な生まれっぷりでした。

そして、

辻信一さんは、

「原発はもうしないこと」を、

「しないことリスト」にしっかり挙げておられます。

ほんとにね、

原発は、

「すること」社会、

「しなくちゃ」社会、

「もっと」「もっと」の社会、

「速く」「速く」の社会・・・の産物ですね。

わたしたちの親の世代の人たちが、

がんばってくれた時代です。

そのおかげで、わたしたちの今があるわけだけど・・・。

「恨みの言葉を重ねる変わりに、

「ありがとう、

そしてさようなら」と、言おうと思います。

「原発にさようなら」

「古い時代にさようなら」

・・・・辻信一 「しないことリスト」のすすめより

現状を恨んだり、嘆いたりすることもあるだろうけど、

わたしはそっちに力を注ぐよりも、

原発を止めることから始まる、

いろいろな豊かさが、生まれ花開く様子を、

イメージするのが、心地よいです。

そんな素敵な未来を思い浮かべています。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

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というわけで、

ヒマでいること

しないこと

peaceful

というわけ。(ちょっと簡単にまとめ過ぎた?)

うまこさん、

いいこと教えてくれてありがとう。

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2015年2月11日 (水)

雪と氷の季節のお弁当など。

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雪と氷の世界から、
こんにちは。
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エルフの剣のようなツララが、
こっちに向かって伸びてます。
ひえ〜〜〜。( ̄Д ̄;;
この日は、
この冬一番の冷え込みで、
水道管が凍ってしまい、
午後遅くまで、水が出ませんでした。
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こんな景色に囲まれた家で、
今日は、
近所の子がDVD持って来はったんで、
小さい子らは、
「アナと雪の女王」観てました。
寒そsnow
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さて、
最近のお弁当です。
きんぴら
サツマイモのてんぷら
車麩と金時豆のスパイス煮込み
ゆかりご飯
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ジャガイモのバーグ&トマトソース
ぬか漬け
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インドカレー(前の日の残り)
インド漬け物3種
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冬野菜と厚揚げの照り焼き
ごぼうのかき揚げ
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焼き飯
ほうれん草のくるみ和え
白菜とリンゴのサラダ
けんちん汁
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ピラフ
車麩と金時豆のスパイス煮込み&もちきび豆乳ソースのグラタン
ぬか漬け
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焼うどん
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もちきびナゲット&野菜葛あんかけ
ほうれん草と人参のからしあえ
ぬか漬け
ゆかりご飯
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根野菜と厚揚げのグリーンカレー(タイカレー)(前の日の残り)
ぬか漬け
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サツマイモの天ぷら
ほうれん草の胡麻和え
豆腐ステーキ&白菜の葛あんかけ
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うおーーーっw(゚o゚)w!
大量のスパゲテイ!
翌日の弁当の分も見込んで1、5キロの麺。
大皿料理って言うけれど、
大皿には、もはや入りきらず、
タライのような、
捏ね鉢にてんこ盛り。
食卓に運ぶと、
一同、「うおーーーっ!」
盛り上がります。
Img_5414
「今日何が食べたい?」と訊くと、
三男なんか、必ず、
「スパゲテイ!」と応えます。
(他の答え、訊いたことないわ。)
まあ、お手軽なこともあって、
晩ご飯が遅くなったときなど、
週に一度は、スパゲテイの夜があります。
(同じく、週に一度はカレーの日も。)
「こんな僕らスパゲテイ好きなんやから、
イタリア、みんなで行きたいなあ」と、
長男言うてます。
行きたいねえ。
イタリアで食べ歩き♡
各自で旅費稼げるようになったら、
行けるやろ(*^m^)。
Img_5415
ああ、良かった。
なんとか、弁当の分、残りました。
冬野菜のトマトソースのフェトチーネ
ゆで人参のローズマリー&オリーブオイルあえ
ほうれん草のくるみあえ
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末娘のバースデイケーキ。
豆乳&カシューナッツクリームは、
冷えた方が、きゅっと味が締まって
おいしいので、
外に出しておきました。
チルド室snowです。
(冷蔵庫の方が温かいのです。)
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家族の中で一人だけ、
イチゴが手に入る季節に生まれました。
誕生日だから、
奮発して、無農薬のイチゴをはるさんが買ってきました。
甘ーい香りの無農薬イチゴは、
ここで手に入ります。
はるやのクッキーも置いてもらってます。
→ musubi-ya
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そのmusubi-yaさんが、
素敵な塗り絵、プレゼントしてくださいました。
sizukaさん の塗り絵です。
musubi-yaさんありがとう!
何年も使ってなかったクレパス引っぱりだして、
ヒマなときにやってみました。
楽しかったです。
昔から、曼荼羅描いてみたいなーと思っていたので・・・。
ヒマな太郎はんに8枚中4枚も塗られてしもたんで、
あとは、わたしに塗らせてなー。
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全員揃ってお休みのある日。
そして、久しぶりのお日様ポカポカの朝。
いつもと変わった朝を過ごしたいなあと思ったので、
お昼前に、
おしゃれな朝ご飯してみました。
カフェごっこです。
はるさん作、ホットビスケット。
わたし作、キャロブ豆腐クリーム。
いちご。
大人はコーヒー、
子どもは穀物コーヒー。
Img_5439
冬の陽だまりの中で、
ジャズを聴きながら、
雪景色眺めつつ、
みんなでニコニコ食べました。
カフェに行ってる気分で。
(豆炭ごたつでは、ちょっと雰囲気でーへんか。)
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楽しい朝のひとときでした。
Img_5442

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2015年2月 9日 (月)

ヒマな話

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今がピークかしら?
(lll゚Д゚)
(・・・って書いてから、
また、どかっと降りましたけど・・・。)
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あっち見ても、
↓階段がっ!shock
Img_5355
こっち見ても、
雪だらけ。Σ( ̄ロ ̄lll)
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「行ってきま〜す!」
↓「あらよっと・・」
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こんなかんじ・・・。(;;;´Д`)ゝ
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雪の海に浮かぶ、
孤島状態です。
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三男坊だけは、
飽きずに喜んで遊んでます。
ときどき、
雪に埋もれちゃいないだろうかと、
所在を確認をしに行きます。
あんなところに・・・・w(゚o゚)w。
Img_5353
こんなふうなので、
家で過ごすことが多くなりました。
外出の予定が無い週末は、
子どもたち、ほんとうにのんびりです。
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ヒマなのは、
いいもんやなあと、
しみじみ思います。
(奥の太郎はん、見るからにヒマそうにうろうろしています(*^m^)。)
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ある晩、
ヒマなので、
何か作っている太郎はんです。
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兄妹の間に、
落ち着いた、平和な時間が流れています。
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近所のお姉ちゃんが持っていたパズルを、
うらやましそうに観ていた妹のために、
アンパンマンのパズルを作ってあげてました。
Img_5320
作ってもらった人も、
作ってあげた人も、満足そう。
やさしいお兄ちゃん☆
Img_5319
あるとき、
ヒマなので、
次男、三男、
なぜか若冲さんの画集に目がとまりました。
「すっげーなー!」
「めっちゃ、うまいなー!」
Img_5331
ヒマなので、伊藤若冲さん風に描いてみました。
ヒマやから、わざわざトンビの羽で描いてみました。
(太郎はんです。)
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ヒマやから、
黒画用紙に、わざわざ黒いシャーペンで描いてみました。
これも太郎はん。
Img_5342
ある朝、
「ヒマやし鳥の写真でも撮りに行くか」と、
太郎はん、出かけて行きました。
その日の太郎はんの作品です。
Img_0756
かわいいなあー。
Img_0798
Img_0720
あっ!Σ( ̄ロ ̄lll)
イノシシの子どもたちと、出会ったそうです!
ドキドキですね!
Img_0785_2
太郎はん、
たいへん立派な、
望遠レンズをいただいたので、
いろいろ実験中のようです。
Img_0733
カメラの機能を使いこなして、
楽しんでいます。
ヒマは、趣味を広げていきますね。
Img_0632
さて、
こちらの人たち。
ヒマなので、
団子作ってます。
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ヒマは、美味しいおやつを生み出します。
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太郎はん、
ヒマなので、
音楽鑑賞しています。
それから・・・、
ヒマなときに、
ピアノ弾いてたら、トルコ行進曲も大雑把に弾けるようになりました!
(子どもの頃ピアノ習ってたわたしより上手coldsweats01。)
ヒマなときに、
はるさんが、
音楽コーナー、だんだん充実させてきました。
(まだ、他のところはごちゃごちゃですけど。)
なんて、良い音なんでしょう(。>0<。)!
(今までの、音楽環境が悪すぎた?)
心が洗われるようです。
美しい音楽。
おいしい食べ物。
ヒマな子どもたち。
三拍子そろった?、楽しい我が家です。
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子どもは、ヒマにさせとくのがいいです。
ヒマ過ぎて、退屈でたまらんようになると?
「ヒマで仕方がないし、何かするか〜」
と何かおもしろいことを始めます。
(ゲーム機があったら、つい、ゲーム機をやってしまうのかな?)
なんだか、子どもらをヒマにさせとくと悪いみたいに、
ヒマにさせぬよう、
退屈にさせぬよう、
学校でもそうだし、
家でも、宿題を出したり、習い事させたり、
子どものためにと、なんやかんやお膳立てしてるようです。
ヒマにさせといたら、
時間がもったいない?
アホになる?
怠ける?
そうかなあ?
わたしは、そうは思いません。
子どもらみてたら、
ヒマな時間の中から、
なにかしら、おもしろいもの、生み出しています。
学校の休み時間みたいに、
ちょっとやそっとの細切れみたいなヒマな時間ではダメです。
<たーーーっぷり>な、
ヒマでヒマでしかたがないくらいの時間がいいのです。
↓ヒマなので一人夜食を食べている末娘。
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2015年2月 3日 (火)

根っこにあるもの

 

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大人になって、

友達付き合いや恋愛付き合い?を重ねていくなかで、

失敗もし、

自分の性格の弱点みたいなのが、

わかってきます。

つまづくときに、

同じパターンを繰り返していたりします。

夫婦になったら、

夫との関わりの中で、

子どもができたら、

子どもらとの関わりの中で、

やっぱり、

同じパターンでつまづいてたりします。

ありゃりゃ・・・・。

(→過去から学んでいないcoldsweats01。)

そんなことないですか?

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だんだんと自分の性格の弱点が、

浮き彫りになってくると、

次に、

その弱点というのは、

自分の親との関係に由来するもんとちゃうかなあと、

気づいてきました。

今の自分の根っこにあるのは、

親子の関係やと思います。

それは、

どんな根っこかと言うと、

親から受け取った愛情や、

親との幸せな思い出であることはもちろんですが、

(そういうのばっかりだったら、どんなにいいだろうと思うのですが。)

知らず知らずのうちに、

刷り込まれた価値観とか、

「○○しないと、怖いぞー、幸せになれへんぞー」

とか、

「おまえは、○○してくれんかったから、ダメだぞー、親不孝だぞー」

みたいな、

悪く言うと、呪い?

みたいなもんが、

深ーい、深ーいところに、

居座っているように感じます。

アラフィフになっても、

いまだに・・・。(。>0<。)

わたしにとって、

その根っこは、

とても深く、闇の中に埋まっていて、

愛も、

呪いのようなものも、

どっちがどうなんだか、

見分けが付かないくらいに複雑に絡み合っていて、

大人になってからの人生は、

その根っこを、

少しずつ掘り下げては、

光を当て、

「ほんとうは、どうなってんの?」と、

謎を解いていくようなものだなあと、

ふと、

感じました。

なぞなぞみたいです・・・。

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そんな、

親と子の関係のなぞなぞと解く、

ヒントみたいな、

言葉です。

そして、我が子らとのあり方についての、

羅針盤のようでもあります。

前の記事に引き続いて、

またoshoのお話です。

(紹介させていただいたのは、

こちらのブログです。→

ありがとうございます。)

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子どもたちに対して、

あなたにできることはひとつしかない。

それは、

あなた自身の生を分かち合うことだ。

子どもたちに、

自分もまた親から条件付けを受けてきたことを話しなさい。

特定の理想に従い、

特定の制限の中で生きてきたこと、

そして、

こういった理想や制限のために、

すっかり生を無駄にしてしまったことを話しなさい。

そして、

自分はおまえたちの生を損ないたくない、

完全に自由でいてほしいと

話しなさい。

なぜなら子どもたちにとって、

あなたは過去そのものを表しているのだから。

子どもたちに、

そう伝えるには勇気がいる。

父親と母親には、

途方もない愛情が必要とされる。

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「お前たちは、

私たちから完全に自由でいなければならない。

私たちに従うのではなく、

自分自身の知性に基づいて行動しなさい。

たとえ道に迷ったとしても、

盲従したまま、

いつも正しいことをするより、

はるかにましだ。

自分の考えて行動して間違いを犯し、

そこから学ぶほうが、

他の人に追従して間違いを犯さないよりはいい。

間違いを犯さなかったところで、

人に追従する以外は何ひとつ学ぶことにならない。

そして、

人に追従することは害になるだけだ。」

 

これは、あなたに愛があれば、

いともたやすいことだ。

私に「どうすれば」と訊かないことだ。

「どうすれば」という質問は、

手順や方法論、テクニックを求めているということだ。

だが、

愛はテクニックではない。

子どもたちを愛し、

彼らが自由であることを楽しみなさい。

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彼らが間違いを犯すままにさせ、

どんな点で間違いを犯したのか、

自分で理解できるように手助けしてやりなさい。

子どもたちに、

こう言いなさい。

「間違いを犯すことは悪いことじゃない。

いくらでも、

たくさん間違うがいい。

これこそが、

より多くのことを学び続ける方法だからだ。

 だが同じ間違いを何度も繰り返してはいけない。

そんなことをしても、

馬鹿になるだけのことだ。」

結局これは、

私から単純な答えを得て済む問題ではない。

あなた自身が、

瞬間から瞬間へと子どもたちとともに生き、

ささいなことにおいても、

彼らに最大限の自由を与え、

あなた自身が、

答えを見つけ出さなければならない。

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「全く新しくありなさい」

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むかし、
osho (バグワン・シュリ・ラジニーシ)という人の、
コミュニテイーに、
旅の途中、旅は道連れ・・・ってな流れで、
滞在したことがあります。
(インドでの話。)
当時のわたしは、
自分の内側に向かう旅よりも、
刺激的な景色や人との出会いなど、
自分の外へ外へと向かう旅がしたくてうずうずしている年頃だったので、
そのコミューンでは、
たまに瞑想したりして、
あとはなんとなくぶらぶらと過ごしてただけなんですが、
今頃になって、
SNSで回覧板みたいに廻ってくる、
このoshoのお話や言葉などが、
心に響くようになりました。
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少し前に、
廻ってきたこのoshoのメッセージも、
わたしには、
とても腑に落ちるものでした。
わたしのなかで留めとくだけではもったいないので、
ここでシェアします。
長い文章ですが、
自分の心にも叩き込むつもりで、
カタカタカタ・・・と、
キーボード一気に叩いてアップしました。
こんなふうにありたいと思うんだけどな・・・。
理想です。
興味のある人、読んでみてくださいな。
前に書いた記事で紹介した、
カリールジブランの「子どもについて」という文にも、
通じるものがあるなと思います。
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OSHO
「The Way of the White Clouds 」より。
「母親であることを義務と考えてはいけない。」
それを義務と思ったが最後、
何かが死に、
とてつもない価値を持つ何かが消えてしまう。
その関係性が壊されてしまう。
それを祝福と捉えなさい。
子どもは存在からの贈り物だ。
子どもに敬意を払いなさい。
ただ愛情をかけるだけでなく、敬意を払うのだ。
もし敬意を払わなければ、
愛は所有になってしまう。
敬意を払っていたら、
どうして所有することなど出来よう?
尊敬している相手を、
所有することは出来ない。
その考え自体が、醜く無礼だ。
人を所有することは、
人を物におとしめる行為だ。
そして、ひとたび子どもがあなたの所有物になってしまうと、
あなたは重荷を背負うはめになる。
その時、それは果たさなければならない義務へと変わってしまう。
母親達は、
自分達がどれだけ大変なことをやってきたかと、
生涯話し続ける。
真の母親は、
自分がしたことについては何一つ語らない。
しかも語らないというだけではない。
彼女は自分がそれをしたと感じることもない。
彼女はそれを楽しみ、
子どもに対して感謝しているのだ。
それは子どもの誕生だけではなく、
同時に母親の誕生でもある。
一方では子どもの誕生だが、
もう一方であなたの母性が誕生を迎えているのだ。
子どもはあなたを劇的に変化させてしまった
子どもはあなたを与えてくれた。
あなたはもはや同じ人間ではない。
女であることと、
母親であることには途方もない違いがある。
だから愛しなさい。
敬意を払いなさい。
そして子どもの妨げにならないよう、
成長の手助けをしなさい。
それは一番初めから気をつけなくてはならないことだ。
そして、いいかい。
自分の母親から学んだパターンを繰り返してはならない。
そうなるのは自然なことだ
なぜなら、それがあなたの知っている母親像であり、
自分の子どもにも同じ行為を繰り返すだろうからだ。
そして、そうなるのはよくない。
全く新しく在りなさい。
自分の母親から学んだことは全て忘れなさい。
新しいやり方で子どもに応えなさい。
愛を与えなさい。
だが決して枠組みを与えないこと。
愛を与えなさい。
だが決して人格を与えないこと。
愛を与えなさい。
だが自由は手つかずのままにしておくこと。
愛することが、
子供の自由を侵害することになってはいけない。
こんなにも小さな子どもの自由を考える人はどこにもいない。
だが、
それではいつになったら考えられるだろう?
明日になっても子どもは小さいままだ。
そして、明後日になっても。
実のところ、
あなたは自分の子どもが自由を獲得できるような、
成長した人間であるとは絶対に考えない。
絶対に。
なぜなら、
あなたと子どもの年齢差は、常におなじままだからだ。
その差が20歳あれば、
それはずっと20歳のままだ。
それならば事の始めから子どもに敬意を払い、
自由を与えなさい。
ときに子どもが泣いたとしても、
心配することはない。
ほんの少しの間、
一人で泣かせておきなさい。
いつも慌てて、
準備万端待ち構えている必要などない。
それは愛のように見えるが、
実際はあなたは子どもの自由に干渉している。
子どもは時々泣く事を単純に楽しんでいる。
それが自分自身を表現する唯一の方法だからだ。
わめき、泣き叫ぶ、
それが彼の言語だ。
泣かせておきなさい・・・何も悪いことはない。
その子は世界と関係しようとしているのだ。
あやしたり、
すぐ乳を与えたりしてはいけない。
空腹でない時に乳を与えるのは、
麻薬を与えるに等しい。
母親達は乳を一つの麻薬として使う。
乳を飲み始めるやいなや、
子どもは泣いていたことを忘れ
眠りに落ちる。
それは心地よいものには違いないが、
あなたが干渉をし始めたというしるしだ。
子どもが本当に乳をほしがっているのでなければ、
放っておきなさい。
そうすればプライマルセラピー(感情発散療法)など、
必要なくなるだろう。
プライマルセラピーで泣き叫んでいるのは、
幼児期に干渉され、
一度も泣き叫ぶことを許されなかった人達だ。
子どもにあらゆることを許し、
自分自身であることを感じられるようにしてごらん。
子どもの行く道から少しずつ手を引いてごらん。
手を貸してやるのはいい。
だが育みながら、
子どもがひとりで成長するよう、
見守ってごらん。
時々、子どもが間違ったことをやろうとしていると
感じた時でさえも、
あなたは判断を下す立場にはない。
あなたから見て子どもが間違ったことをしていたとしても、
それは単に「あなたから見て」というだけの話だ。
それはあなたの意見であって、
子どもは間違っていないかも知れない。
その子はあなたの意見に従うために、
この世に生を受けたのではない。
子どもは無力だから、
あなたの意見を押し付けるのはいともたやすいことだ。
子どもの生死はあなたにかかっていて、
彼はあなたの言うことを聞かなくてはならないからだ。
あなたが「止めなさい」と言ったら、
どんなにそうしたいと思っていても
子どもはそれを止めなくてはならない。
あなたに逆らうのは危険だからだ。
真の母親は、
自分の子どもに大きな自由を与える。
たとえ母親の意に反することをしたとしても、
その子は自由を与えられる。
子どもにはっきり言っておきなさい。
「それは正しくないというのが私の考えだけど、
お前がそれをするのは自由だよ」と。
子どもに自分自身の経験を通して学ばせなさい。
そうやって人は真の成熟を迎える。
出なければ人々は幼稚のままだ。
年の数は増えるかも知れないが、
彼らの意識は成長することはない。
肉体的な年齢ば50歳かもしれないが、
頭の中は7歳で止まったままだ。
そうしたら彼らは成長するのを止め、
ただ従うだけになる。
あなたの愛を与え、
経験を分かち合いなさい。
だが、決して押し付けないこと。
そうすれば、
その子は素晴らしい人間に育つだろう。
成長するためには保護することと、
しないことの両方が必要だ。
庭師が草木を育てるのを見てごらん。
彼は手を貸し、
草木を保護する。
だが日の光に当たり、
雨に、嵐にさらされるという自由も与える。
戸外に待ち受けるあらゆる危険から守る為に、
草木を屋内に入れたりはしない。
家の中に入れた草木は枯れてしまう。
温室の中の植物は不自然だ。
そして私たちは過保護な親達のおかげで、
みな温室育ちになる。
子どもを守ってはならない。
守らず放っておきなさい。
影のようについてゆきなさい。
世話をしてやりなさい。
そして危険過ぎる時は守ってやれるよう、
バランスをとるよう心がけなさい。
だがそそれほど危険でないと感じたときには、
好きにさせておきなさい。
子どもが成長すればするほど、
より大きな自由を与えなさい。
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