末富晶さんの「私の不登校記」

2015年5月30日 (土)

私の不登校記・No13より&「学校以外で義務教育案」?

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インドの話は、お休みしまして・・・。
 
高島市社会福祉協議会広報に記載されている、
末富晶さんのエッセイ「私の不登校記」No13が届きましたよ。
紹介させていただきます。
晶さん、ありがとうございまーす。
今回も、
学校へ行かずに家庭で過ごす子どもたちにとって、
とても大切なこと・・・・(一番大切なことかもしれません。)
書かれていますよ。
↓庭でお花摘みができるようになりました!(雑草ばっかりですけど。)
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私の不登校記・No13
私の家はいわゆる二世帯住宅で、
一軒家の二階部分に両親と私たち兄弟、
一階に祖父母が暮らしていました。
学校に行かなくなってからしばらくの間、
私はよく一階の和室を訪れ、
祖父母と過ごしていました。
祖父は大抵テレビに向かい時代劇かサスペンスドラマを見ていて、
その傍らで祖母に縫い物を教わりながら彼女の少女時代の話や
戦争体験の話などを聞く毎日。
こたつの上にはいつも美味しいお菓子が置いてあり、
つまみすぎてはご飯が食べられなくなって
母に怒られたり・・・・。
そんな風にいつも長居をしてしまうくらい、
祖父母の部屋は当時の私にとって
安心できる憩いの場だったのです。
(↓サッカー男子たちよ、畑を荒らすなー!)
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恐らく祖父も祖母も孫が学校に行かないことについて
良くは思っていなかったはずなのですが、
少なくとも私に直接それを問いただすようなことはしませんでした。
二人がそうせずに、
こころよく部屋に迎え入れてくれていたことは
当時の私にとってとても幸運なことだったと思います。

(↓はるばるNYから遠征してきたでっかい選手、ただいま滞在中。)
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おかげで私は自分の何倍もの時間を生きている祖父母から、
多くのことを学ぶことができたのです。
もしもあの時、
同じ家に住む家族である祖父母に
学校へ行かないことを責められたり、
とがめるような態度をとられたりしていたら、
私はもっと外の世界を恐れていただろうと思います。
(↓人数が揃わない時は、薪を選手代わりに置いてやっとります。)
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こうして思い返してみて、
二人が「受け入れる」態度をとってくれていたことに
改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。
 
以上末富晶さんの「私の不登校記・No.13」でした。
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「学校に行ってない」
それだけで、
その子をとりまく大人たちは、
不安になるようです。
心配になるようです。
怖くなるようです。
勉強が遅れるではないか?
将来はどうなるんだろう?
ずっと家でこうして篭っているんだろうか?
友達ができなくなるのではないか?
世間に恥ずかしい・・・。
などなど、
そんな心配は果てしなく広がるでしょう。
その子にとって、
家で過ごすのが
一番くつろげて、安心で、のびのびできて、
「その子らしく」いられているのに、
その子が、
その子らしくありのままでいることを、
受け入れることができないことが多いようです。
その子の命を思う、
その前に、
「子どもは学校へ行かなければ!」
という思いの、
厚い壁が、立ちはだかるんでしょうかね。
子どもが学校へ行かないということを、
受け入れるということは、
家族の人たちにとっても、
大きな試練だったりします。
長年思い込んで築いてきた「こうあるべき」という枠を崩して、
再び築き直さなければならない。
辛いことかもしれないでしょうけどね。
まだまだ、
ホームスクーリングやフリースクールを、
「こっちの方が楽しそうだから〜」と、
喜びをもとに選択している
ご家庭は、少ないようです。
(「子どもが不登校になったから、
止むを得ず今はそういう選択をしている」というご家庭が多いようです。)
「学校でなくても、
子どもは学ぶことができる」
そんなふうに考えている家庭は、
いまだ、
少数民族です。
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ところがですね、
先日朝日新聞にこんな記事が出てました!
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子どもたちが学びの場を選ぶ権利は今も、
もちろんあります。
でも、
もっと堂々と、
「わたしは、近所の学校へ行く〜」
「わたしは、家でホームスクーリング〜」
「わたしは、ちょっと遠いけど、フリースクールまで行ってみる〜」
「わたしは、基本、家にいるけど、たまに学校へも行くわ〜」
ってなかんじで、
選ぶことができる時代がやってくるんですね。
学校の先生も、
教育に関心がある人も無い人も、
おじいちゃんおばあちゃんも、
近所のおじさんおばさんも、
商店街の人たちも、
郵便配達のお兄さんも、
コンビニのお姉さんも、
学齢前の小さな子どもたちも、
公園のママ友さんたちも、
みんな、みんなが、
当たり前のこととして、
それを知っているという時代がね。
(例えば、平日の真昼間から、
大きな子どもが、そのへんうろうろしていても、
不思議がられない時代がね。)
そうなると、
もっともっと、
ホームスクーリングしたり、
フリースクールへ通う子どもたちの輪も広がるでしょう。
子どもたちがそれぞれに、
自分にあった学び方ができるというのは、
ほんま、すばらしいです。
学校教育の方も、きっと変わってゆくでしょう。
考えるだけでワクワクします。
まあ、
この国のことだから、
家庭やフリースクールでの学びを、
どのように、管理してくるのか、
わかりませんけどpig
大きな一歩だと思います。
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2015年3月 6日 (金)

私の不登校記・No12より

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高島市社会福祉協議会広報に記載されている、
末富晶さんのエッセイ「私の不登校記」No12を、
紹介させていただきます。
晶さん、ありがとうございまーす。
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「私の不登校記No12」
人生は広いキャンパスに絵を描くようなものだと、
いつか誰かの言葉を聞いたことがあります。
確かにその通りで、
きっと誰にとっても始まりは真っ白な未知の世界。
成熟して振り返った時に初めて、
自ら描いていた絵の彩りが見えるのでしょう。
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だとすれば
その絵を描くよりずっと前に、
どんな画材を選ぶのか、
どんな道具を使うのかがとても重要なのだと思います。
誰かが忘れていった絵具を
「これでいいか」と使ってしまうのは簡単だけど、
それが本当に自分の絵に入れたい色なのかどうか、
その時慎重に考える必要があるだろうと思うのです。
「ぴったりな青が、
こんな所にあった」というのは、
すてきな発見だし、
出会った人に手渡してもらうことも多いでしょう。
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だけどもし、
自分の使いたい画材がどうしてもまわりに見つからなかったら・・・。
そこはすぐに描きたい気持ちをぐっと我慢して、
色を作るところから始めなければいけない時もあります。
植物や石から、
思う色を取り出すのはとても時間がかかる作業だけど、
そうして作った色は、
自分だけのもので、
いくら使ってもなくならない魔法の画材となります。
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描くことと違って材料作りは
誰にも見えない場所での一人きりの作業だけど、
そこでどれだけ自分のために納得いく色が作れたかということが、
自分の描く絵を好きになれるかどうかの
大きな分かれ目だという気がするのです。
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えー、
もうすぐ長男は卒業です。
最後のテスト、
良い結果が出たようです。
それぞれの教科の先生から、
「おめでとう」
とか、
「おまえは3年後はええとこ行けるのに、
もったいない┐(´-`)┌」とか、
あたたかいお言葉をいただきながら、
答案用紙が返ってきたそうです。
そんな話を聞くと、
正直なところ、
「あんた、ほんまにこれでいいの?」と、
思ってしまう母ちゃんです。
学歴優先社会なんてなんぼのもんじゃい!と言い放ちつつも、
なんとなく、
未練?執着?あるのでしょうか・・・。わたし。coldsweats01
でも、
彼は、
そんなわたしらのちゃちな考えと違って、
もっと、
自由で新しい感覚でもって、
自分の未来にむけて、
選んだのでしょうね。
それは、
わたしらみたいな、
古い時代のもんの理解を超えたところで・・・。
晶さんのこのメッセージのように、
長男は、
中学生活で積み上げてきた、
最高の(・・・ようにわたしには見える)画材を、
あっさりと捨てて、
また新しく、
絵の具を作るところから始めるのだなあと思いました。
本人は、
それが近道だと思っているんだろうけど、
傍目から見たら遠回りでしょうね。
学校を離れて、
誰からも評価されない、
テストも無い暮らしの方が、
彼にとっては、
自由である反面、
時として地味で孤独なものになるのかも知れないなあとも思うけど、
自分が納得できるような色で、
自分だけが描けるようなおもしろい絵、
描いていくのだなー。
そっちを選んだのだなー。
・・・・なんて思いました。
晶さん、
今回も、素敵なエッセイをありがとう。
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2015年1月22日 (木)

私の不登校記・No11より

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高島市社会福祉協議会広報に記載されている、
末富晶さんのエッセイ「私の不登校記」No11を、
紹介させていただきます。
晶さん、ありがとうございまーす。
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・・・「私の不登校記No11」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、写真の整理をしていて、
ちょうど不登校児となってすぐ11歳頃の自分の顔を
じっくり眺める機会がありました。
実は、驚くほど表情が薄いのです。
無表情とまでいきませんが、
楽しいシーンの写真の中でも、
笑おうとして笑えていないような、
硬い表情をしているのが印象的でした。
 
何度か書いているように、
この頃の私は、
本当に色々な不安を抱えて過ごしていたのだなあと、
あらためて思います。
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「学校」という場所から逃れた先に、
「自分の中にある不安」という大きな存在が待っている・・・。
不登校について、
困難から逃れて楽をしようとしているのだろうという考えもあるようですが、
学校に行かなくなることは、
決してただ漫然と怠けることと同意ではないのだ、と、
この写真を見るとよく分かります。
むしろ、
困難は深まるかもしれません。
誰かの敷いてくれたレールから外れ、
野原を歩き出したなら、
その後起こることに対してはすべて
自分で責任を持たなければならず、
そのためには否が応でも、
自分と向き合いながら過ごすことになります。
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苦労していたのだな、と、
まるで他人事のように思えるのは、
その「重い困難」だったはずの日々が、
今ではすっかり自分を支える「心強い味方」
になってくれているから他なりません。
少年漫画の一ページのように、
心を尽くして向き合えば、
「敵」はやがて「味方」に転じることもあるのだと。
今は宝物に思える時間を写した写真を前に、
そんな風に思うのです。
末富 晶
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末富晶さんのこのエッセイが、
迷いながらもレールを外れて、
自分の足で野原を歩き始めた、
どこかの誰かさんのもとへ届きますように。
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2014年11月14日 (金)

私の不登校記・No10より

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高島市社会福祉協議会広報に記載されている、
末富晶さんのエッセイ「私の不登校記」を、
紹介させていただきます。
晶さん、ありがとうございます。
No10が届きました。
No9の記事はこちら
(「私の不登校記」でカテゴリー作らなあきませんね。(^-^; )
「ある〜日、森のなか〜♪」にひとり入って行った、
太郎はんの写真を添えて・・・。
(クマさんには出会いませんでした。)
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では、
「私の不登校記No10」より。
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不登校をしても良かったと思えることの一つに、
何よりそうしなければ
関わりを持つことがなかっただろう人たちとの出会いがあります。
もちろん学校へ行っていれば
また違った出会いがあったのだろうと思いますが、
行っていなければ行っていない時間の中で、
別の出会いが待っていてくれるものなのです。
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「学校に行きたくないという気持ちを
尊重したい」
と 言ってくれた小学校6年生の時の
担任の先生は、
学校の先生でありながら、
学校に行っていたら
縁はなかっただろうなと思える人の一人です。
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.
.
ヒゲを生やしたこのおっちゃんの先生は、
私の担任となってから
度々我が家を訪れてくれるようになりました。
コーヒー片手に
数時間はいろいろな話をするというスタイルが定着し、
それはその後何年も続くこととなったのです。
学校の外で合うからでしょうか。
私は先生のことを先生というよりも
一人の人間だと思って話をしていたし、
先生も私のことを生徒というよりも、
一人の12歳の人だと思って向き合ってくれていたようでした。
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目の前の相手を
肩書きや見た目のあれこれを外して
「一人の人間だ」と思って向き合う時、
そこには「心地よいまっすぐなやり取り」
が、生まれるような気がします。
おっちゃん先生と少女が真剣に向かい合って、
どんな話をしていたのか。
過去に戻れるなら、
そばでもう一度聞いてみたいものです。
                     末富晶
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というわけで、
「センセイ」という言葉はクセモノですね。
「センセイ」になったら、
学校出ても「センセイ」、
散歩してても、「センセイ」、
買い物行ってても「センセイ」、
家でごろごろしてても「センセイ」、
ラーメン食べに行ってても「センセイ」、
飲み会行って酔っぱらってても「センセイ」(@Д@;・・・・。
何十人何百人もの生徒から、「センセイ」と呼ばれ、
生徒じゃない人からも、「センセイ」と呼ばれ、
同じセンセイからも、「センセイ」と呼ばれ、
ご近所さんからも、「センセイ」と呼ばれ、
引退しても、「センセイ」と呼ばれ・・・・。
日本では、
ずっとつきまといますね。
この呼び名。
ちょっとおかしくないですか?
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わたしは、
過去に、「センセイ」とも呼ばれるような職場で、
働いていたのですが(学校ではありません)、
そこの職員たちのほとんどが、
「センセイ」と、呼び合うことを、
はっきりと拒否していました。
園生と職員と、お互いで教え教えられ、
育て育てられている生活の場でもあり、
そこに、師弟関係は存在しないということ。
そして、
職員同士まで「センセイ」と呼び合う必要は全く無いということ。
保護者の方からも、「センセイ」と呼ばれる必要もない。
「○○さん」って呼び合うのでじゅうぶんやん。
簡単に言うと、こんなことです。
それが当たり前になってくると、
「センセイ」と呼び合うってのが、
なんだか、気色ワルー┐(´д`)┌ってかんじさえなってきます。
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センセイと生徒と、
学校では、
立場をはっきりとさせといた方が、
いいのかも知れませんけど、
フリースクールでは、
教える立場の人を、
「センセイ」とは呼ばないでしょう。
(そいういうふうに呼んでいるの、聞いたことないなあ・・・。)
センセイと呼ばないことによって、
気楽で、のびのびと、学び合える関係が築けるものかも知れません。
毎日、毎日、
何回も何百回も、何千回も、
子どもからも大人からも、
「センセイ」と呼ばれて生きている人は、
「センセイ」というお面が顔に張り付いていて、
もう外せなくなってるかも知れませんね。
お面が張り付いてることすら、
気づいてない人も、
忘れてしまっている人もいるかも知れません。
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そうなってしまったことで、
素のままの自分以上に、
何かいらんものをぎょーさんくっつけているセンセイ、
けっこういるかも知れません。
「〜しなきゃ!」
「〜べき!」
で、
頭の中いっぱいのセンセイ(*^m^)。
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わたし、
センセイとお話する機会もちょこちょこありますが、
ふとした瞬間に、
「センセイ」のお面が、外れてしまって、
普通の姉ちゃんや普通のおっちゃんになってしまうセンセイもおられます。
そんなとき、
その人のありのままの人柄というか、
本当の気持ちが、にじみ出てきて、
晶さんの言われる、
心地良いまっすぐなやり取り」が、
生まれるように思います。
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子どもらからみて、
素敵なセンセイ、かっこいいセンセイ、魅力的なセンセイ、
おもろいセンセイ、気持ちを打ち明けられるセンセイ、
辛いときに甘えられるセンセイ、
一緒にいたいセンセイetc・・・
というのは、
きっとセンセイのお面が、
ひらひらと、テキトーなかんじでくっついてて、
素の顔が見え隠れしてるようなセンセイやと思います。
「わたくしは、
この道○十年、
教師ひとすじでやってまいりました!」
という、
真面目一本のセンセイよりも、
テキトーなときに仮面外して、
自分らしさを大切にできるセンセイの方が、
子どもらひとりひとりの気持ちを、
大切にできるセンセイになれるかも知れませんね。
晶さんは、
そんなセンセイに、
学校へ行かなくなったからこそ、
出会えたのですね☆

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2014年10月 1日 (水)

私の不登校記・No9より

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今回で9回目になります、
末富晶さんのエッセイです。
高島市社会福祉協議会が出しておられる広報より、
ご本人の了解を得て、
ここで紹介させていただいています。
晶さん、ありがとうございます。
太郎はんが撮影した写真と一緒に、
どうぞ、読んでみてくださいな。
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私の不登校記 No9
不登校児になるよりも何年か前、
ほんの小さな頃のわたしは、
ひとり遊びが大好きな子どもでした。
幼稚園に行くのを泣いて嫌がり、
朝の時間はいつも母や先生を困らせていたものです。
本当はどこにも行かず、
家の片隅で絵を描いて歌ったり、
許される限りずっとそうしていたかったのです。
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「小学生になったら、
みんなと一緒に座って勉強するのだから、
今はその練習なのよ」
と、母に言われ、
学校へ行くようになったら、
もっと長い時間家から離れなければいけないのかと、
憂鬱になりながらも、
「練習ならば」と頑張って通っていました。
結局その訓練のかいもなく学校には行かなくなってしまったので、
当時の私の努力はかわいそうだけれど、
徒労に終わったと言えるでしょう。
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私が不登校児になったことで一番大変な思いをしたのは
やはり両親だったと思います。
父も母も当然、
娘は普通に学校に通って卒業するだろうと考えていたのに、
それが突然ほとんど何の前ぶれもなく、
そのルートは娘自身の手によって絶たれてしまったのです。
周りの人たちからは「育て方が悪い」と言われ、
一時期は深い悩みの日々を過ごさせてしまったようです。
本当に申し訳ないことでした。
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だからこそ、
「僕は、彼女の学校に行きたくないという気持ちを尊重したいと思います」
・・・・小学6年生の時の担任の先生が行ってくれたこの言葉に、
本当に力をもらったとのちに母は言っています。
                   末富 晶
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「彼女の学校に行きたくないという気持ちを尊重したいと思います」
・・・これと同じセリフ(彼女じゃなくて彼でしたけど)、
わたし、何度か学校の先生に言ったことがあります。(*^m^)
自分の子どもを思って言ったこともあるし、
学校へ来なくなってしまった、ご近所の子どもさんのことを思って、
言ったこともあります。
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今、現に学校に行っていない子どもがいる。
「学校に行っていない」ということ、それだけで、
その子が、
「困った子」「ダメな子」「問題のある子」になってしまうのはおかしいです。
(でしょ?)
学校に行ってないかぎり、その子が否定され続けるのはおかしいです。(でしょ?)
そりゃ、子どもが学校に来てくれてこそ、先生の仕事も成り立つわけで、
とりあえず学校に来てくれんことには話にはならん、
上からの指導もあるやろし、
先生の方が困ってしまうわけなのですが、
それは学校側の、学校の都合のはなし。
その子にとったら、
家ですごすことの方が楽しいし、くつろげる、のびのびできて幸せ。
だから学校に行かず家で過ごす、
ただそれだけのことなのに、
「困った子」になってしまう。(本人は何も困ってないのに。)
否定されてしまう。
学校の都合に合わせると、
その子が学校に行くようになるまではずっと、
その子は「困った子」になり続けなければならないかもしれない。
なんか、ちょっと、ひどい話やねえ・・・。
(「学校に行きたいのに、わけあって行けない子」については、別問題でしょうけど。)
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おまけに、はためから見たら、
「あそこはお母さんが甘やかしてるんとちゃうか」
「育て方がおかしいんとちゃうか」
「もうちょっと子どもに厳しくしなあかんやろ」
そんなふうに、見えてしまったりするわけですわ。
そんな状況、見ていてわたし、わかるから、
その子のお母さんの代わりに、
センセイに言いに行くわけです。
「彼女の(彼の)気持ち、尊重してあげましょうよ」ってね。
そして、さっき書いたようなこと言ってみたりするわけです。
学校を選ばなかった子どもたちのこと、知って欲しいなあと思って。
おせっかいとも思いつつ・・・。
だって、おそらく、センセイにとって、
「子どもが学校に長い間学校へ行かず、家にこもっているらしい」というような状況
は、考えられないことなのでしょう。
学習もせずに、友達付き合いもせずに、学校無しに、教師無しに、
子どもが健常な成長発達を遂げるというのは考えられないのかも知れませんね。
一体どうやって日々を過ごしているのだろうか?
謎だったり(*^m^)、心配だったり、不安だったり、
もしかしたら怖いという感情もあるかも知れませんよ。
これは、助産師さんにとって、
「妊婦さんが、産院に来ないで、家で自分でお産をする」ということが、
考えられないのと、よく似ていることやとわたしは思います。
過去に、わたしがプライベートで出産したいという思いを、
昔からお世話になっていた助産師さんに伝えたとき、
検診受けずに、専門家の指導も医療的な介助もお手伝いも無しに、
赤ちゃんが問題無く生まれてくるということが、考えられないようでした。
そんな突拍子もないことをする妊婦さんについて、
心配だったり不安だったり、恐怖さえ感じておられるのかも知れません。
(わたしはそのように感じたものです。)
というわけで、わたしは、
そういう状況にあったら、何度でも伝えるつもりです。
センセイ方が、理解してくれようと、くれなくても・・・。
子どもたちの中には、
家で過ごすことの方が幸せな子もいるのだということを。
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晶さんのこのエッセイみたいに、
担任のセンセイがそんなふうに理解してくださるなんて、
ほんと、うれしいですね。
うちの子たち、ほぼ毎日学校へ行ってますけど、
学校に行くことを強制していません。
毎朝「今日はどうするのかな〜?」と、
本人の気持ちをできるだけ尊重しています。
学校を休みたいとき・・・、
疲れがたまっているのか、キライな授業を避けたいのか、
体調が悪いのか、ただ眠いだけなのか、なんとなくなのか、
理由もはっきりしないこともあるんだけど、
そんなその子の感性を、わたしら夫婦は、信頼してるんですわ。
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というわけで、
今回も、全国の不登校の子どもたちとその親御さんたちへの、
応援歌みたいなかんじになりました(*^m^)。
わたし、「不登校」という言葉に、たいへん違和感感じるんですけど・・・。
まさしく学校側の都合でできた言葉ですね。
そういう言葉でひとくくりにせんといて欲しいですね。
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2014年8月11日 (月)

私の不登校記 No.8 より

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高島市社会福祉協議会が出しておられる広報に、

末富晶さんのエッセイが連載されています。

ホームスクーラーだった晶さんの、

「私の不登校体験記」、

毎回とてもすばらしいので、

みなさんにもぜひ読んでいただきたいなあと思い、

了解をとって、

うちのブログで、紹介させてもらってます。

前回はこちら

http://haruyanahibi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-0d01.html

わかりやすい、シンプルな言葉ながらにも、

ホームスクーリングの本質を尽いた、

心に響くエッセイです。

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私の不登校記 NO・8 

学校に行かない」生き方とは、

どのようなものでしょう。

学校に行けない」生き方と、

どこが変わるのでしょうか。

表面的には何も変わらなくても、

私の内面でそれはとても大きな変化でした。

行かないと決めたことで、

誰かや、何かのせいで仕方なくそうなってしまったわけではなく、

自ら進んで今の道を選んでいるのだ

はっきり言うことが出来るようになり、

私はつまり、

そこでようやく「自分の人生の主役」となることができたのです。

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「みんなが言うように大変な未来が待っているかもしれない」

「みんなが言うように学校に戻るべきなのかもしれない」

そんな不安の声が

内側で際限なく繰り返されている間、

私は知らぬ間に主役の座を

自分以外の何者かに明け渡していました。

その時味わった大きな挫折感は、

後から考えれば何の根拠もないただの思い込みでしたが、

当時の私にとっては本物で、

多くの人の言葉を受けて

「もうこの先まともな人生は望めない」と、

10歳にして絶望していたのです。

今なら笑い話ですが・・・。

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未来は誰にも分かりません。

「次の一歩をどんな気持ちで踏み出すか」、

 それこそが進む先の景色を変えていくのだと思います。

そしてその心持ちを決められるのは、

主役の座を譲渡していないときのみだと知った瞬間、

私の中からむくむくと、

目の前の道を歩きだすためのあたたかな勇気が湧いてきたのでした。

                       末富 晶

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ええっと、

「高校へ行かない」と、

自分で考えて決めた長男

http://haruyanahibi.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-5e18.html

の目の前には、

不安もいっぱいあるやろうけど、

たぶん、

わくわくするような未来も無限に広がっているんだろうなあと、

そばにいて、

感じることがあります。

わたしは、

「それでいい」と思ってますよ(*^m^)。

晶さんのこの言葉、

まさしく、そうだなーと思います。

「次の一歩をどんな気持ちで踏み出すか」、

それこそが進む先の景色を変えていくのだと思います。

そして、

普通にイイ高校へ行って、イイ大学に行って、

イイとこ就職するレール。

もうすでに敷かれたレール。

そんなレールの上を行くことが、

安全で将来の幸せが保証されているって、

一般には思われてるみたいだけど、

ほんとうに、そうかな。

みんな、幸せになってるかな。

豊かになってるかな。

かしこい大人になってるかなーーー。(*^m^)

図書館などで、

適当に選んで、

どの新聞読んでも、

答えは出てますねー。

どこぞの大学出てエリートなんか知らんけど、

「なんちゅーこと、やらかすんや!!(#`Д´)」

というような、

アホな大人、不幸せそうな顔した大人、

山ほど出てきます。

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2014年6月 6日 (金)

私の不登校記 NO.7より。

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このブログで、

紹介させてもらっている、

末富晶さんのエッセイ「私の不登校記」の、

続きが届きました。

前回はこちら↓

http://haruyanahibi.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-8ef1.html

今回のエッセイも、

短い文章の中に、とても大切なことが

おだやかな、わかりやすい言葉で綴られています。

よかったら、読んでみてくださいな。

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私の不登校記 NO,7

学校へ行かずに森で遊んでいる間、

 

つねに楽しさでいっぱいで暮らしていたかというと、

 

残念ながらそうではありませんでした。

 

 

まわりの大人たちからの「学校にも行かずに」という無言の圧力は、

 

言葉で言い表せないほど強く、

 

「やっぱり自分は間違っているかもしれない」

 

「このままでは将来生きていけなくなるのだろうか」

 

という不安に事あるごとに襲われ、

 

押しつぶされそうになっていました。

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その頃は10人の大人がいれば

 

10人全員「当然学校には行くべき」

 

という意見だったのだから無理もありません。

 

 

私はまだ子どもで、

 

多くの子どもがそうであるように、

 

身近な大人の大部分が口にすることは間違いなく、

 

真実であると思っていたのです。

 

 

「行くべき」ものに「行けない」というのは

 

本当に辛いことです。

 

その構図の中では自分には能力がなく、

 

人よりも劣っていると考え、

 

自分で自分を無意識にせめてしまいます。

 

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しかし不登校児となって

 

何年過ぎた頃でしょうか。

 

 

ある日を境に、

 

あの時の「10人の大人」は決して、

 

「世の中すべての人」を代表しているわけではないことが

 

分かってきたのです。

 

 

「世の中」は、

 

自分が想像していたよりも、

 

どうやらずっと広く大きなもののようでした。

 

 

そして私は始めて、

 

自分は「行かない」という行き方を、

 

自ら選ぶこともできるのだと気づいたのです。

 

 

末富 晶    (高島市社会福祉協議会広報誌より。)

 

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わが家が、

「ホームスクーリングをやってみようかな」と、

思い始めたときも、

そして、ホームスクーラーになったときも、

たくさんんの人から、

「学校は行くべきものだ」という意見を

頂戴していました(*^m^)。

「学校行って、いろいろな人に出会っていろいろな経験をしないと、だめ。」

・・・・みたいなことを、

いっぱい言われました。

ホームスクーリング=家だけの世界、親子だけで、狭く偏った、内に閉じた世界・・・と、

思われていました。

でも、はたして、そうかな?

わたしたちは、むしろ、

(見えない)塀に囲まれた学校という枠を飛び越えて、

外に無限に広がってゆく行き当たりバッタリの出会いやハプニングを学びとするような

未知の世界に、賭けてみた・・・・・・ともいえます。

・・・・って、ちょっとかっこよく言いすぎたかしら?coldsweats01

(でも、ホームスクーリングって、「閉じてるんじゃなくて、開いているんやでー。」と

誤解してはる方たちに、言いたいです。)

「世の中」は、

 

自分が想像していたよりも、

 

どうやらずっと広く大きなもののようでした。

晶さんは、

学校へ行かなくなって、何年かして、

あたらしい人生の扉がぱ~っと開くように、

自ずからそんなことに気付かはったのだな・・・・・。

すばらしいなと思います。

晶さん、今回も、

素敵なエッセイありがとうございます。

*おまけ*

なぜ屋根の上で漫画を読んでいるか?

気持ち良いからか?

いいえ違います。(もちろんそんな時もありますけど。)

追っ手(末娘)から、逃れるためです。

(友達から借りた漫画だから、大切にしなければならない。)

さすがの末娘でも、ここまでは来られません(*^m^)。

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2014年1月27日 (月)

私の不登校記

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ホームスクーリングに興味がある人にも、無い人にも、

学校が合わなくて、悩んでいる人にも、いない人にも、

読んで欲しいなーと、

思える、

素敵なエッセイと出会いました。

書かはった方が、

たまたま知り合いさんだったので、

ご本人からの許可を得て、

ここで紹介させていただきまーす。

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私の不登校記 No.5   末富 晶

「早く着くことなんて 問題じゃないんだ」

 15歳の時に書いた詩の一節に

「なぜ学校へ行かなくなったのか」という、

大人たちからの問いへの答えを、

私なりに表していたと思います。

早く着くというのは、

 一体どこに早く着くという意味でしょうか?

学校へ行っている間、

私はずっとどこかにあるゴールを目指して、

そこへ最短の距離と速さで到着しなければいけない責務を負っている気がしました。

小学校の6年間、

中学校の3年間、

高校の3年間、

それから大学へ行って、

会社へ入って、

それからそれから・・・。

 小学校の私にとって、

その年月はあまりに長く、

先にあるはずのゴールは見えませんでした。

その見えないゴールのために、

今するべきことが決められている。

そのことがだんだんと耐えられないほどの苦痛と感じるようになり、

ついには不登校児としての道を歩む結果となっていったのです。

 そうなって一番変わったことは、

自分の将来に対する考え方だったかもしれません。

「未来の自分のために、今何かをする」のではなく、

 「今何かをしていることが、未来の自分いつながっていく」、

そんなふうに考え方の転換をするようになってから、

私はずいぶんと楽になり、

やっとほっと息をすることができるようになりました。

(高島市社会福祉協議会広報誌より。)

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これを書かはった末富晶さん、

小学校3年生から学校へ行かなくなり、

義務教育期間は、

不登校児・・・つまりホームスクーリングされたそうです。

(学校関係では、「ホームスクーリング」という言葉は使わないのかなcoldsweats01?)

連載で書いておられるのですが、

今回は5回目で、

バックナンバーもとても素敵でした。

(今、手元にありませんけど。coldsweats01

シンプルで短い文章だけど、

さらりと、

大切なこと、書いておられます。

「未来の自分のために、今何かをする」のではなく、

 「今何かをしていることが、未来の自分いつながっていく」

この言葉に共感しました。

子どもさんたちにだけでなく、

大人にも向けられたメッセージかも知れません。

それから、

「不登校は困る。なんとかしなあかん!」

「学校へ来られるようにがんばらな!」

そんな風潮?の中、

「しんどかったら学校へ行かなくてもいいんやで」

「あなたは、あなたのままでいいんやから」

そんなふうにも受け取られるメッセージが、

市の広報に掲載されたというのは、

喜ばしいことだなと思います。

晶さん、

ありがとう。

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